うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、《銀行大リストラで激震! 転職市場はどう変わるのか? あなたのキャリアは…》と、【ビオンに従うなら、LとかHのひとつの形態と同様に、KとかマイナスKやno Kのキーの形態がひとつのセッションでの軸になりうる。】


 今日の日中は、連泊されている方々と、ホームの方は朝から志都呂のイオンに行って、モールを歩いたり、昼食を摂ったりして帰って来ました。
すっかりクリスマスモードになっていましたが、まだ忙しなさは感じませんでした。


今日の和菓子は、渡り鳥とのことでした。水に浮かぶ鳥のイメージでしょうか?可愛いですね。


 午後からは、池ノ原にお薄を頂きに行き、椿公園周辺を散策して帰って来ました。
お天気もよく、散歩日和でした!


 クールダウンに、昨夜から、絵を描いています。
皆さん楽しそうに一日を終え、良かったです。





 昨日、帰宅したら下記のニュースが出ていました。少し前から言われている事ですね。
『働き方のスタンスを自律的なものに切り替えることのほうが重要だと考えています。』は、本当はそうあるべきですが、景気が良いとそれだけで経済や仕事が楽に動いていくので、人間は楽したい一心なので(笑)ついつい怠ってしまいますね......。
 任天堂さんは、随分前から学歴なんか関係なしに、本当にその筋に精通している方々を採用して、事業を拡大していたような記憶があります。
これからは、有名企業に就職したから安泰などでなく、自分で仕事を生み出していく能力がないと、おそらく仕事がなくなってしまうと思われます。
まあ、いつの時代でも当たり前の事ですが.....。



銀行大リストラで激震! 転職市場はどう変わるのか? あなたのキャリアは…12/2(土) 8:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171202-00010000-nikkeisty-bus_all&p=1
■転職市場の変質にどう向き合うか カギは自走性と独立
 新卒や転職といった雇用市場も、これからは一気に変化が加速する可能性があります。足元の雇用情勢は意欲が旺盛で、求職者側にとってきわめて有利な売り手市場の状況にありますが、この状態がいつまで続くのかは不透明です。むしろ10年後、20年後のキャリアを考えると安穏としていられる状況ではありません。働く側として、これからの市場の変化にどう向き合うべきなのでしょうか。

●世界中を駆け巡る「生産性革命」の流れの中で、現在の日本がすでにかなり遅れた位置取りになっている(グローバルなウェブサービスクラウドサービス、シェアリングエコノミーにおいて日本発の企業がない、など)
●この「生産性革命」が生み出す改善度合いが、かつてない歩幅でやってくる
●今回の変化が、これまで経験してきた変化とは異なる次元の速さでやってくる

といった状況から、まず想像できるのは、特にホワイトカラー領域における、これまでの出世競争(有名大学への入学競争、有名企業への入社競争なども同じ)に勝ち残ることや、とにかく一つでも多くの資格を獲得しておくことなどのキャリア的な保険は、まったく意味をなさないリスクが高まるということです。

 非連続な変革が起こる際には、過去のシステムやルールの中で機能した価値が壊滅してしまうことは、歴史が証明しています。まずは、これらの変化が起こるときに、「どのような人材であれば活躍できるのか」を自分なりの視点で想像してみることです。誰かに聞けばどうやればいいかがわかるマニュアルのない世界では、暗闇の中でも手探りで自分独自の地図を描いていける「自走性」こそが、個人として独立的に存在する前提となります。
 既成の権力や成功パターンに頼らず、自立自走で考えて生きる、という習慣を手にした上で、インディペンデントコントラクター(専門スキルを持った独立事業主)としてキャリアを構築できるかどうかにトライし始めるべきだと考えています。独立事業主といっても会社を辞めなければいけないわけではなく、会社に勤務しながらでも、自分の中で契約内容と成果物、価格という考え方を導入するだけで、仮想的に挑戦を始めることも可能なので、かなりおすすめです。

 生き残るための方策として、デジタルや英語などのスキル学習の話題になりがちですが、むしろそれ以前に、働き方のスタンスを自律的なものに切り替えることのほうが重要だと考えています。
 もしホワイトカラーに限定せずに、スキルフルな世界で「生産性革命」を生き残ろうとすると、農業技術者や料理人、建築関連の職人など、デジタルの影響を受けにくい世界でのスキル習得は、まだまだ有効だと思います。年齢的に新しい価値観を持つことが難しく、変革との共存にモチベーションが持てないという場合は、職人のようなリアルな世界でのスペシャリストを選択する人が増えるかもしれません。
(ミドル世代専門転職コンサルタント 黒田真行)





 本当は休みでしたが(笑)日中が賑やかだったので現場に入らせて頂きました。本は、早めに出て、ファミマで読みました。
苦手なビオンですが、ここでも分かり易く書いてくれているので、少しは理解できたような気にして頂きました。(笑)


〜ここまでのところで3つの現象についてのビオンの探究をまとめてみよう。
K:自己や他者を知ろうとする情緒経験。
no K:自己や他者を知ることができる心がない精神状態――患者の心の精神病部分において、彼は自分では考えられない奇怪な非現実的な宇宙に存在している。マイナスK:自己や他者を誤解するという残忍で剥奪的なつながり。
 これから子ども分析での臨床素材の理解と解釈へのこれらの応用を描き出してみたい。
 ビオンは知る能力を精神生活の中心に置いている。心的生活の基本統治者としての生の本能と死の本能に同等なものとして、快感原則と現実原則を位置づけている。ビオンのシンボルにおいては、KはL(愛情)とかH(憎しみ)と同様に基本的なものである。彼は自分の再編成した理論を臨床実践につないでいる。ビオンによれば、それぞれのセッションについてキーがある。そのキーは、LかHかKである。LあるいはH、Kが始めの主な解釈の主題であると決断するとき、分析家はそのセッションのキーを決定している。其れからそれが「彼が述べようとしていく残りのすべての発言を照合できるひとつでスタンダードとなり」(経験から学ぶ、p,45)うる。ビオンに従うなら、LとかHのひとつの形態と同様に、KとかマイナスKやno Kのキーの形態がひとつのセッションでの軸になりうる。臨床実践でのその含蓄は、私たちは患者とともにK についてたびたび働くべきであり、私たちの注意はLリンクやHリンクへと同様に、患者の内での、そして私たち事実と患者との間でのKリンクへと自由に漂うべきとのことである。 (この観念の硬くなな使い方をすることは、分析作業について、ビオンの見解とはまったくもって異質なのだが)臨床素材への次の問いかけとして表現できるだろう:LあるいはH、Kの表出として、あるいはそれらへの不安としているもしくは防衛……などとして、このセッションでその素材が現れてきているのだろうか(この論文の主題ではないので、これからの検索からはLとHは除くことにしたい。また、LとHはよく知られているからでもある)。もしKがその素材でもっとも差し迫ったものであるなら、次の問いが出てくる:どんなタイプのKなのか。その子は知ろうとしているのか、それとも、たとえば彼の内的対象あるいは外的対象について考えることがあまりに不安なのか。これらのケースではキーはKである。あるいは、その子は自分の体験を誤解したり、自分の体験の意味を剥ぎ取ろうとしているのか。もしそうなら、キーはもはやKではなく、マイナスKである。もしくはその子は素材の中で、考える能力を失っている精神病状態を表しているのだろうか。この場合のキーは、no K である。