うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

神戸館年末チャリティーと、平野屋さんで見つけたものと、【彼の関心は、人間でのつなぐものlinkとしての思索である――自分自身あるいは他者の本質を洞察したい、もしくは自分自身や他者の現実を知りたい、自分自身や他者を理解したいとの努力である。思索とは、自分自身あるいは他者を知りたいという情緒体験である。】


明日から、神戸館年末チャリティーが始まるので、早朝からバザー物品を並べに行って来ましたが、なぜか?w数点売約済みになっていたり、並べていたら購入してくださったりで、商品が少なくなってしまいました(笑)
 いつも沢山の作品を出してくださっている、そば源さんのご夫婦も、自分が一番いいなと思っていた、まくわ瓜を描いた日本画を買ってくださっていました。
 ご主人と色々お話ができて、沢山得ることがありました。いつ行っても忙しいお店なのに、よく絵を描ける時間がありますねとか、ご主人が書かれているエッセイのファンだとお話しさせていただくと、エッセイにまつわるエピソードも聞くことができました。
 ご主人さんのお話を聞かせていただいていると、はやり続けているお店は、それなりの努力をされているんだと、当たり前のことですが、改めて感じました。
 


 昨日行った、平野屋さんの周囲にも面白いものが沢山ありました。
こちらの蔦は色づき始め、もう少し冷え込めば、もっと鮮やかな朱色になるのでしょうか?このままでも十分キレイでした。

 こちらは、木が若いときにスピーカーを取り付けたのでしょうか?スピーカーがへしゃげていました(笑)

 こちらは何なのでしょう?後ろの竹も良いシルエットでした。


 今日は休みでしたが、用事が沢山ありました......。
昨日の疲れが取れなかったので、今日も早く寝ます(笑)


 本は、用事と用事の間に少しずつ読みました。読むだけならおそらく1週間もあれば読めるのでしょうが、少しでも理解しようとすると、中々進みません.....。11月中に読み終えようと思いましたが、おそらく12月の中旬までかかりそうです.....。
 相対的に、男性はわざと(笑)難しくしようとしている気がして、女性は比較的分かりやすい言葉で記述してくれている感じがしています。



3,ビオンの思索についての理論と子どもの分析での新しい技法
 エドナ・オーショウネスィ
〜ビオンは思索の起源に関する理論を作った。彼は、思索/考えることの最早期の形態を仮定した。それは後の形態とは異なっていても、後の形態に向かう発達の基礎となるものである。思索の最初の形態は、心的性質を知ろうと努力しているのである。そしてそれは幼児の中での考える能力の確立――あるいはその失敗――を決定する母親と幼児との間での早期の情緒体験の結果なのである。心的世界についての知識は身体世界についての知識から先行するとの興味深い含蓄もビオンの理論は伝えているが、人間どうしを基本的につなぐもの、また正常な心が形作られ機能していくために基本的なところでつなぐものとしての思索という新しい理解を述べている。至るところでビオンは思索についての研究を分析技法と結びつけているので、あらゆる年齢の患者との臨床で進歩が起こりえた。 ビオンの考えの類い稀なオリジナリティは伝えがたい。正確な意味あいに富んだ簡素な言葉で彼は考えを表した。気晴らしのための彼のいつまでもおかしいジョークと同じように、その言葉は読書が繰り返しそこに戻るだけの値打ちのあるものである。私はまず初めに、思索についての彼の業績の要点をいくらかまとめ、次に、子どもの分析での利用を例示するつもりである。 ビオンは“思索/考えること”によって何を言っているのだろうか。抽象的な精神過程を意味していたのではない。彼の関心は、人間でのつなぐものlinkとしての思索である――自分自身あるいは他者の本質を洞察したい、もしくは自分自身や他者の現実を知りたい、自分自身や他者を理解したいとの努力である。思索とは、自分自身あるいは他者を知りたいという情緒体験である。ビオンはこの思索の基本形――知りたいとしての感覚としての思索ーーをシンボルKによって明示した。xKyであるなら、「xはyを知ろうとしている状態にあり、yはxによって知られかかっている状態にある」〜
『精神現象の二原則に関する定式』でフロイトは快感原則で目的を、不快な緊張や刺激を避け、発散することとした(Freud 1911)。クラインは『分裂機制についての覚書』(1946)で、快感原則に似ていることを異なった視点から述べた――彼女が投影同一化と名づけた早期の防衛機制である。彼女の見解では、幼い幼児は耐え難い不安から自我を護るために、望まない衝動や感情などを分割排除して対象の中に投影する。これは、不快な緊張や刺激の発散についての対象関係的な見方である。メラニー・クラインは投影同一化の性質を調べていくなかで、患者によって使う程度が異なっていると述べた。より重篤な障害の患者たちがこの機制を、彼女が“過度な”excessiveと名づけた使い方をする。精神病患者との仕事からビオンはそこには量的因子以上のものが含まれていると認識した。投影同一化の異常な型を精神病患者が使うとの結論に至った。ビオンはもう一つ発見した。投影同一化は防衛機制であることに加えて、母親と赤ん坊との間での最初のコミュニケーション様式であった――それが思索の起源である。幼い赤ん坊は自分の感情や恐怖などを母親が受け取った上で知るように、母親の中に投影することでコミュニケートする。精神分析では、コミュニケーションのひとつの様式としての投影同一化はセッションの中で重要で独特なものである。〜