ブドウとイチゴと、今日のうたたねと、「資本論」への関心高まる コロナ禍で“経済格差”など意識かと、【このように「不可能」を「禁止」に変えることで「不可能」を隠蔽するのが神経症者の戦略である。】
今日は午後から、男子だけすろーの湯に行きました。ブドウがシッカリと結実していました!
イチゴも2年前に壊滅したと思いましたが、立派に復活!来年の春には沢山のイチゴが採れそうですね!
やはり大きなお風呂は皆さん大好き!
夜には変な方が(笑)!
利恵さんお片付け!
順番でスッテプ台をされていました!
今日も皆さん笑顔で終えることが出来、感謝です!
昨日、下記のニュースがありました。マルクスの研究ノート、フロイトの心理学的草案と、古典が見直されていますが、本当に凄い物は時代なんか関係ないのかも知れませんね。
およそ150年前に資本主義のメカニズムを分析した思想家、カール・マルクスの「資本論」への関心が高まり、関連する書籍が人気を集めています。
出版社などは経済格差や環境破壊などの社会問題がコロナ禍の中でより意識されていることが、背景にあるのではないかとしています。
「資本論」は、ドイツの思想家、カール・マルクスが1867年に発表した著作で、資本主義のメカニズムをひも解き内包する問題点などを鋭く分析したもので、その後の経済体制のあり方などに影響を与えました。
出版社などによりますとコロナ禍の中、この「資本論」への関心が高まり、内容を解説した本や資本主義社会をテーマにした関連書籍に注目が集まっています。
色んなコミュニケーション理論が展開されていますが、中々難解です。何度も読み返してやっと少しだけ(笑)理解できたかのような錯覚が得られます(笑)。
3 社会のコミュニケーション理論
1 ハバーマス
〜同様にハバーマスは、フロイトの「無意識」を「抑圧された無意識」として捉え、「無意識の完全な意識化」の可能性を想定している。が、このような無意識の規定そのものが、精神分析的に見れば、無意識を「禁止」において捉えようとし無意識の存在を認容できない神経症的把握である。無意識とは蓄積されたシニフィアンの結合であり、そもそも意味とはこれに規定されているのであるという事態は、世界を決定的に真理付たいとする神経症者の欲望からすれば許容し難いことであろう。
ゆえに無意識は抑圧(禁止)によって存在するものとして措定され、抑圧を取り除けば、意味の深淵(不決定性)などというものは存在しなかったことになる。
彼にとっての生活世界は、この禁止される無意識と同様のポジションにあるという漸進的に合理化され、理想的発話状況へ向かうものとしてのみ、それは存在を許されていることしかし「禁止」とは、「禁止されたものを欲望する」ことと表裏一体である(ラカン1975)。
彼の理念は不可能であるにも関わらず、むしろ彼の理念の存在を可能にするためには、彼の理念の存在を「禁止」する生活世界が立ちはだかっていなければならない。そして「理想的発話状況」は不可能であるにも関わらず、禁止として措定されている限り、この不可能性は隠蔽されているのである。
このように「不可能」を「禁止」に変えることで「不可能」を隠蔽するのが神経症者の戦略である。〜