うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

『寒さに弱い・うつ病的症状…原因は甲状腺機能低下症?』と、【無意識的な逆転移は道具であり、自我が提供する安全枠を信頼した状態で、その道具を十分に用いたとき、技法と安定が生じるのです。】


今日は、夜勤明け、久し振りに帰宅後寝ました(笑)メールや電話ですっきりとは眠れませんでしたが、良く寝ると、体が柔らかくなります。
それは、文献などでも書かれていますが、自分は身体に障がいをお持ちの方の支援をさせて頂いて、実感しました。
 その方は、睡眠が浅くて、睡眠障害があるようでしたが、気道確保させて頂く(その方に合う気道確保の位置が分かるまでは時間がかかりましたが)と、痰のからみや咳き込みがなくなり、熟睡できるようになると、起床直後は別として、日中体が非常に柔らかくなりました。
 自分は、自転車で通勤しているので、不調の時は、筋肉が固まってスムーズに動かなかったり、間接に違和感があったりしますが、よくよく考えてみると、睡眠不足の時にそうなる時が多いのが分かりました。今は、時間がある時に、寝るようになりました。
 色々なことを、利用者さん経由で学習させて頂いています。それこそ、リトル先生が言う、共に成長できるということですかね?身体と心は一緒ですから!

 ひと眠りしてから、ネットのニュースを見ていたら、下記の記事がありました。
冬期うつと言うのがあります。個人的には、自律神経がついて行かなくて、精神病的ではなく、神経症的な症状が、抑うつ神経症のように感じるのでは?と勝手に(笑)考えています。自分の事を鑑みて(笑)先日の血液検査では、橋本病ではないが、その傾向がある結果が出ていたので、下記の記事を真剣に見ていました。
 身体と心が同じと言うのなら、案外下記の様なことが要因で、精神に障がいをきたしてしまう事が多いのかも知れませんね......。

 ねこさんの身体が柔らかいのも
良く寝るからでしょうか(笑)


寒さに弱い・うつ病的症状…原因は甲状腺機能低下症?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180121-00007961-nallabout-hlth

◆急な寒気・気持ちの落ち込みが伴いやすい「甲状腺機能低下症」
 気持ちがあまり冴えないこの季節。地球温暖化と言われても、寒い日はやはりとても寒く感じるものです。寒さや、日照時間の短さは、人によっては気持ちが落ち込む要因になります。

「最近急に冬の寒さに弱くなった」「気持ちが冴えなくて辛い……」と感じている方には、一度気にかけて頂きたい病気があります。「甲状腺機能低下症」です。甲状腺の機能低下には、気持ちの落ち込みなどの精神症状が伴いやすいと言われています。診断する上での検査や鑑別方法、また機能低下により出現する症状について、分かりやすく解説します。

甲状腺機能低下症で出現する代表的な症状
甲状腺の機能が低下した際に現れやすい代表的な症状を示します。

・疲れやすい
・寒さに弱い
・皮膚が乾燥する
・体重が増加傾向にある
・気力があまりわかない
・過眠傾向になっている

こうした症状はバイタリティ(生命力)が低下した際の症状とも見れます。しかし、基本的にはうつ病でも心身のバイタリティ低下症状が現れます。つまり、甲状腺機能低下症とうつ病は、その症状にかなり重なり合う部分があるのです。







 本は、夜勤明け、休憩がてらファミマでいつもの如く(笑)コーヒーを飲みながら読みました。
もう少しで、リトル先生の本が読み終わります。



 分析者が、自己分析によって、自分の妄想的不安を十分に扱うことができるようになり、生存についての不安が深刻な問題にならなくなったなら、分析者の自己分析はその後自動的に進んでいくでしょう。いつも意識的にというわけではなく、分析者の無意識的な自我の活動として(Kramer 1959)、です。 上述のような患者の行動によって引き起こされる、あのような予測不可能な反応は、実際には、自我並びにイドによって処理されます。超自我は、なんの役割も果たすべきではありません。超自我が関わる場合は、自我の一部としてよりは、イドの一部としてです。そしてこのことが、また、無意識的な逆転移として表出されるのです。Eiia Sharpe逆転移について最初に言及した人の一人ですが、学生への講義のなかで、逆転移のこの面を強調しました。 この点が、わたくしが、Dr.Heimannの信念(1960)に異議を唱えたい点です。彼女は、自分の患者に自分の不注意の理由を伝えていたら、患者を傷つけていただろう、と信じているのです。伝えても傷つけなかったので、彼女は驚いたようです。つまり、彼女は、傷つけるという考えを、疑いますことなく受け入れていたようですし、その現実性を試さなかったようです。このことは、わたくしには、超自我の判断のように思えます。彼女が、そのエピソードをさらに吟味したら、むしろ良い効果があったことに気づいたのではないか、と思われるのです。そうしたことが、わたくしが述べたような患者の場合に、わたくしが予想することなのです。神経症患者の場合には、必ず生じるとは予想しませんが。わたくしは、彼女が、自分の患者がどのように傷つくと予想したのだろうか、と思います。彼女は、今までにそのようなことが生じる体験をしたのでしょうか。スーパービジョンでの学生との体験は別にして? 分析治療の過程は、実施、どのようなものであれ、苦しいものではありません、わたくしが述べたようなフォローをしさえすれば、そこでは感情が発散され、その後で、次に何をいうか考える時間をもてるのです。わたくしは、患者に、わたくしが本当にあなたを殺すのではないか、と考えたでしょう、と伝えました。わたくしが、自分自身の感情爆発の罪悪感に打ちのめされていたら、彼女は、それ以上先には進めなかったかもしれません。つまり、彼女一人では、自分の考えを認識できなかったかもしれません。 Dr.Winnicott(1960)は、分析者はときには患者と融合する必要がある、と述べています。わたくしが思うに、それはわたくしが述べたような場合です。というのは、わたくしの患者は退行して、まず何かを行い、その後で、その何かを発見するという段階(つまり、イドあるいは一次水準)に至っていたからです。そしてわたくしもその段階に退行しなければなりませんでしたが、それは何が進行しているのかを知るためであり、イドと自我を融合させるためでした。しかし、わたくしの退行は、彼女の退行とは、異なった秩序に基づいています。退行は、わたくしの中のより小さい一部だけで生じていて、わたくしは、いわば、自力で、そこから抜け出せるのでした。この点が、一方のDr. FordhamやDr. Winnicottのアプローチとの、特別なちがいと関連しているのです。Dr.Heimannは「患者は何をしているのだろう、なぜそれをしているのだろう?」と問うのです。Dr.FordhamやDr.Winnicottは、行動が予測不可能な患者の治療の場合には、「わたしは何をしているのだろう、なぜそれをしているのだろう?」と問うのです。 
 神経症患者の場合には、前者のアプローチで十分です。他の種類の患者の場合には、十分ではありませんし、問いに対する回答には、後者のアプローチが含まれなければなりません。わたくし自身の気持ちとしては、両者とも正しいし、必要であり、適切なものです。 わたくしの最後の要点は、Dr.Fordhamの疑問(1960)に関連しています。つまり患者たちの分析治療において、逆転移が、実際、無意識のままである場合、逆転移をどのように用いることができるだろうか、という彼の疑問です。わたくしが言いたいことは、彼は、そしてわたくしたち各々もそうですが、いつも逆転移を用いている、ということです。逆転移は、分析治療における一つの事実ですし、そうしたものとして、本質的に中立的であり、あるいはむしろ、おそらくアンビバレントなものなのです。つまり、潜在的な、善でもあり悪でもあり、価値あるものであり、有害なものでもあるのです。いや、逆転移はそれ以上のものなのです。つまり、乳児期や幼児期の諸経験のそのものであり、それらの記憶はわたくしたちにとって非常に重要なものであり、わたくしたちに患者の理解する能力を与えてくれるものなのです。そうした記憶は、そして、わたくしたちの訓練の主要部分だった治療からもたらされた諸記憶は、分析治療を遂行する力そのものの源であり、無意識的な逆転移がなければ、そこには共感も、分析治療自体もありえないのです。無意識的な逆転移は道具であり、自我が提供する安全枠を信頼した状態で、その道具を十分に用いたとき、技法と安定が生じるのです。 ここに、分析治療は二人の間の相互作用である、というDr.Fordhamの理解の重要性があります。そうした相互作用が、なければ、患者は成長するかもしれませんが、分析者は成長しないだろうし、両者共の成長と自我発達とを促進しえたときのみ、分析治療は、両者に犠牲を強いるに値する仕事となるのです。