うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日のうたたねと、【それどころか、自分が最も拒否している自分自身の姿を相手の中にのみ認めることをさす場合もある。】

 

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 朝から変なおじさんが来ていました(笑)!

今日も朝から皆さん元気でした!

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 午後からは、男子だけすろーの湯に!この状況下、少しずつ入るようにさせて頂いていますので、広い浴槽を皆さん独り占め!

またまた、アップし忘れてました(笑)!

 

 

 現場でも、無意識に自然と入ることができるスキルが必須ですね!

野中郁次郎先生の本を読ませて頂いていて、直観と直感の違いを沢山調べましたが、直観は意識的に行う方で、今までの経験からくるものと大抵のものには書かれていました。

 自分の無意識を知ることが出来ないなら→ましてや他人の無意識なんて分かるはずはありませんね!

 〜知のとおり、分析医の基本的な機能は、患者の中に無意識であることを意識しやすくする土壌を作りあげることにある。

  れは、心理学的な葛藤の根本的な原因は、人格を分裂させるような意識に受け入れられない精神部分の存在に根差しているからである。

 こで、直観によって患者の無意識ーーすなわち無意識的な衝動、抵抗、転移ーーを把握し、さらに患者の未解決な葛藤を理解していくことが、最初の分析医の基本的な作業になる。

  してこの直観的な“掌握grasping”とは、分析医の無意識によってなされるのである。それは中世の格言を借りれば「同じ身分の者同士でないと理解しあえない」ことであり、これを分析的な言い方をすれば、自分の中に存在しているものを知っている程度に応じて、他の人のことを理解できるということになる。

 り正確に表現すれば、相手の無意識を掌握するためには、相手の中にある精神的内容と同じものを自分の中内的見出さないように自分の意識を閉ざすことでもあるとも言える。それどころか、自分が最も拒否している自分自身の姿を相手の中にのみ認めることをさす場合もある。