昨日は主任さんが寄付してくれた、ステップ台で女子が頑張っていましたが、今日は男子も頑張ったと、主任さんが写メを送ってくれました!
今日は休みを頂いていましたが、レポート三昧でした(笑)。段々高度な知識がいるようになってきました......。ついて行けるでしょうか(笑)。
下記は、今日のレポートと少し関連しています。しかし、今は環境もそうですが、人権にも目を向けないといけませんし、グローバルサウスがこれからどう変化していくのかが、見どころですね!先進国だけがCO2などを削減できたとしても.....ですね!
スーパーメジャーと呼ばれるアメリカの巨大石油企業「エクソンモービル」が、ごくわずかの株式しか持たない新興の投資会社に“歴史的な敗北”を喫しました。投資会社が行った株主提案が、会社側の反対にもかかわらず多くの株主の賛同を集め、取締役を送り込むことに成功したのです。カギになったのは、世界的に機運が高まる気候変動対策でした。
本当は下記をアップしようと思っていましたが、NHKのニュースランキングで1位になっていたので、上記のニュースにしました。
下記は、この文章が全てを記述してくれているように感じました。
『妄想型分裂病者は、他者に対する異常な猜疑心でしばしば人を不愉快にさせるが、彼が疑っているのは、本当は自分自身における真理ー意味決定なのである。』
3 デビドソンにおけるコミュニケーションの可能性
〜彼によれば、「われわが実在と呼ぶところのものは、我々がそれを同定する方法から独立にそれと同定されるような何ものかではない」のであり、「我々は他人の発話に関して一つの真理の理論を推測するとき、我々は彼に対して一組の整合的な信念と発話というものを調整する。その場合、整合的というのは、我々自身からみて整合的というのであって、我々はそれ以上の視点を持っていないのである」。
このように、彼にとって真理とは、言語の使用可能性と結合しており、また共同的な人間世界を構成可能にする、具体的実践方法である。精神病者はこの「真理」の構成の不可能性を抱えている。
例えば人の発話の意味(の決定)を懐疑し始めればどのようなことになるか、ラカンが挙げる有名なユダヤ人のエピソードをみてみよう。これはフロイトにおいては「機知」(フロイト1901)として紹介されているエピソードだが、ラカンは発話の意味の懐疑へと、文脈を変えて記述している。すなわち、二人のユダヤ人が出会う。「どちらへ?」と一人が尋ねると、「クラカウまで」と答えが返って来る。「おい、お前さんはなんて嘘つきなんだ」と先の男が腹を立てて言う。「お前さんクラカウまでと言うとき、本当はレンベルクへ行くじゃないか。何でお前さんは嘘をつくんだい」
この発話は精神病者の妄想に近い。「クラカウ」という発話の意味を、普通私たちは「嘘をつくために」発されたものとは思わない(特別のイントネーションや表情が伴わなければ)。しかしこれが真実だという保証はない。確かに相手が嘘をつくことは可能なのであるし、右のような事態も状況においては成立するであろう。このように、我々が発話の「意味」を通常決定するのは、確かに「真理」に対する信念に支えられた決断においてなのである。
デビドソンの議論においては、自身が「真理」を構成する方法が他者にも適用されているのであり、真理論はコミュニケーションの可能性と通底していることに注意しよう。
自身の意味作用の可能性と、他者とのコミュニケーションの可能性が通底していることは精神病者をみればわかる。妄想型分裂病者は、他者に対する異常な猜疑心でしばしば人を不愉快にさせるが、彼が疑っているのは、本当は自分自身における真理ー意味決定なのである。〜