今日のうたたねと、夏空?と、毎日読書三昧?と、イチゴと、カズオ・イシグロ「私が子供の頃から信じていたものは、幻想だったのかもしれない」と、ひとり、都会のバス停で~彼女の死が問いかけるものと、【それは、「無意識的な罪責感」とでも呼ぶべき心の働きであり、治療の拒否によって、罪深い自らに病苦という罰を加え続けることに道徳的満足を感じているのである。】
早めに出勤して、ファミマの駐車場で本を読んでいました。ふと顔を上げたらきれいな空にきれいな朝の月!
昨夜と今朝の写真が混在してしまっています。昨夜アップしようと思っていて、忘れて仕舞いました....。
昼から男子だけすろーの湯に行きましたが、空を見ると夏空ですね!そういえば5月になっていました!大学院もセメスターが終わっていないのに、セメスター・ブレイク(笑)。先生方が休みたかっただけではないでしょうか(笑)。院生はほぼ社会人なので、連休中に講義があった方が気分的に楽ですが!
この学期は、社会制度と起業に力を入れようと思っていましたが、企業会計の先生が教科書指定された本が素敵でしたので、参考図書もたくさん読ませて頂きました。勿論他の科目の指定教科書は全て読んでいます。でも、インテルのCFOのをされていた先生なので、(筑波大学とか東北大学でも教鞭をとられています)グローブの本は特に参考になりました。やはり凄い人は凄い! 本とギターは、一回止めたら、もうしなくなるのでは?特にギターは間隔を空けると弾けなくなるので、もう何十年も弾き続けています。上手くなりませんが.......。何年も毎日本を読ませて頂いていると、自然と速読が出来るようになります。ギターもそうですね。曲の構成が分かるので、数回弾けば簡単に弾けるようになります。中々ひけない曲もあるにはありますが、それもその系統のものを何曲か徹底的に練習すれば弾けるようになります。アートも音楽も支援も、魔法はありません!ただただ毎日毎日、現場で真摯に今ここで起こっていることに向き合っていれば、不可能だと思われていたことも出来るようになります。
お湯が溜まるまで、イチゴを採っていました。ブドウも大分伸長していました!
やはり大きな お風呂は気持ち良さそうでした。
下記は、この時期に色々考えさせて頂く機会を頂いたものです。コロナが全てを加速させましたね。人工的ではなく自然淘汰の前では、人間はなす術もないことを感じ、経験せざるを得ないと言うことも教えてくれました。悪いのはなにも政府や知事等だけではありません。
「私は子供のころから、リベラルで人道主義的な価値観を信じ、その広がりは止めようがないと信じてきましたが、それが幻想だったかもしれないと認めざるをえなくなりました」
下記は去年報道されていて、胸が痛くなったのをまだ覚えていますし、旭川のいじめの末の自殺は、心が張り裂ける思いで、全ての記事には行きつけませんでした。なぜ今この報道がされるのか?問いは解けそうにはありませんが、そんな気持ちのままでも明日は来てしまいます。小羊学園の理事長さんが、自分が小羊学園さんでお世話になっていた時に、人は平等には生まれてこないから.......と、言われていたのを思い出します。
下記は、またまた改めて社会学の本?と思ってしまいました。自分は大阪人なので、この地方の方には面倒くさがられているのかも知れませんが(笑)、この地方の方々はどうして事大主義・事なかれ主義になびいてしまうのでしょうか?おかしいことはおかしいし、ダメなことはダメではないでしょうか?しょうもないことには 饒舌になるのに、大事なことにはだんまりを決めてしまう傾向がありますね。まるで何もなかったかのように、無意識下に大事なことを持っていくように....。ハリー・スタック・サリヴァンが言うところの、選択的非注意でしょうか?それとも下記の『それは、「無意識的な罪責感」とでも呼ぶべき心の働きであり、治療の拒否によって、罪深い自らに病苦という罰を加え続けることに道徳的満足を感じているのである。』なのでしょうか?郷に入れば郷に従えと言うなら、出ていく気持ちに拍車がかかりそうですが(笑)。
〜そのことを示唆する臨床上の現象が、死の欲動の臨床的根拠ともされた、陰性治療反応であると「精神分析の際に非常・特異な行動をとる患者に存在する。
患者が希望をもって話しかけたり、治療の進展について満足を表明すると、患者は不満そうな態度を示し、必ず状態が悪化するのである」。
なぜ患者は精神分析治療に対して強く抵抗するのだろうか。それは、すぐおもいつくように「反抗心や、医者に対する優越感を表明しようとするもの」なのだろうか。
フロイトの考えではそうではなく、そこには「いわゆる『道徳的な』要因」が働いているのである。それは、「無意識的な罪責感」とでも呼ぶべき心の働きであり、治療の拒否によって、罪深い自らに病苦という罰を加え続けることに道徳的満足を感じているのである。
しかしこれはあくまで無意識的であって意識レベルの作用ではないことが重要である。患者本人は、自分に罪があるはずなどとは意識するはずもなく、ただ病気だと感じているから、解決はより困難である。
この陰性治療反応こそ、治療上無視できない難関であると同時に、大きな視点の変換を要求する理論的な難題でもある。 〜