うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

小さなアトリエ・カーグと、歌のないバンドクラブと、きれいなお月様と、日本はもう「ポツンと一軒家」は無理なんですと、【ただし、倫理は単に具体的な状況に埋没するものではない、という点にも注意が必要です。】

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  今日は、ソーシャルディスタンス・換気等感染予防をして、小さなアトリエ・カーグをやらせて頂きました。感染が拡大しているのに今回は皆さん動かないですね。経済のこともあるので何とも言えませんが.......。と言うのが本音でしょうか?

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  歌のないバンドクラブも行いました。

 

 

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  昼からは、女子も男子もすろーの湯に行きました。こちらも、個別に入浴になっています。体を冷やすと免疫力が低下するので、ゆっくり浸かって、芯まで温めて頂きました!

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 すろーの湯から戻って、車を置きに行ったら、空がきれいでした!

 下記には強く同意します!
  
今、新型コロナウイルスの感染拡大でインバウンド需要も激減し、地方は大変な惨状になっています。政治家は「アフターコロナは地方の時代だ」と口をそろえて言います。都会に住んでいる人の2割が移住したら地方経済がうまく回るという人もいます。  でも、今のままでは地方創生は難しいでしょう。「コロナで価値観が変わりました」という人はいますが、実際に周りで地方に移住した人はいますか。私の周りに地方へ移住した人はほとんどいません。私感ですが、このままでは大きな変化は訪れないでしょう。  そもそも、地方創生という言葉があまり好きではありません。必要に応じて使うことはありますが、どこか都会が偉くて地方を見下している感じが漂う言葉です。地方を救ってあげなくちゃいけないという意味合いを言葉から感じてしまうんです。

 ~そこで重要になるのが自治体の首長によるリーダーシップなのですが、これまた私感で恐縮ですが地方に行けば行くほど「いい人」がトップになっています。コロナ禍で様々な環境が変化していく中で、これから地方は確実に「捨てる時代」になる。嫌われるくらいの行動力を持ったリーダーでないと、変化についていくのは難しいんです。  地方を手っ取り早く変えるには、トップを変えるのが一番早い。ということは、投票する側の意識が変わらなければならないんです。

 でも、この記事を自分はへそ曲がりなんで、全てを受け入れることは難しいですね.......。地方が電通に丸投げなんて当たり前のことだと思っていたし、今はお金がないのでそれが出来ないだけでは? LINEなんかに中央政府が頼っている時点で、おかしいと思うし、優秀なハッカーをなぜ雇わないんだろう?本当に必要なところに税金を投下するなら(その人の立ち位置によって違うと言うのは理解していますが)増税にも文句はないですが、最近はなんだかな~と思ってしまいます。でも、コロナが本当に必要なものを見せてくれているのかも知れませんね!


 『手の倫理』から『ひび割れた日常』を読み終え今は『断片的な社会学』に入り、3/4読みましたが、自分が目指している、やりたいことは、心理学ではなく、社会学なのかな?と思わせてくれる本です。

 下記は『手の倫理』からですが、さわる/ふれるに対して、こんなに意識したことがあったっけ?と思う日常を過ごさざるを得なくなってしまっています(笑)。それも本から時間的に離れて行けば、すっかり忘れて仕舞うのでしょうね......。周縁には少しの感覚を残しながら......。

 〜れに対し、さわる/ふれることは、物理的な接触ですから、その接触面に必ず他者との交渉が生じます。

 理的であるからこそ、さわる/ふれることは、避けようもなく「他人のことに口を出す」行為なのです。他者を尊重しつつ距離をとり、相対主義の態度を決め込むことは不可能。この意味で、さわる/ふれることは、本質的に倫理的な行為だと言うことができます。

  だし、倫理は単に具体的な状況に埋没するものではない、という点にも注意が必要です。