今日のうたたねと、パンカジ・ゲマワット 「本当は、フラット化していない世界」と、【「体育の授業が根本のところで目指すべきものって、他人の体に、失礼でない仕方でふれる技術を身につけさせることだと思うんです」】
今日もすろーの湯に行きました!
夕食後はいつものうたたねでした(笑)!
下記は、明日の講義用の予習を兼ねてみましたが、皆さん盛って全てを見てしまうのは、マスコミのせいかも?と思ってしまうのは自分だけでしょうか?SDGsは大衆のアヘンだ!かも知れませんね。マスコミもアヘンになり得るかも?もうなっているか?w
人の体にふれる難しさは、現場で働く方々は皆さん痛感されているのではないでしょうか? 体だけではなく、心もそうですね.......。
第1章 倫理
ほんとうの体育
〜「体育の授業が根本のところで目指すべきものって、他人の体に、失礼でない仕方でふれる技術を身につけさせることだと思うんです」〜
〜けれども、より重要なのは二つめのエウレカ、そう、彼が「ふれる」という場面を問題にしていることです。「仲間を思いやる」でも「協力しあうことを学ぶ」でもない。「他人の体のふれ方」ときわめて即物的な技法こそ、体をめぐる学びの本質だと彼は言うのです。
即物的であると言っても、これは「さわる」であってはならないでしょう。序で区別したように、「さわる」は、相手との感情的な交流を考慮しない一方的な接触です。彼の意図はむしろ、相手の事情を思いやりながら、それを尊重するように接触することにあります。この双方向性を意図するなら、接触は「さわる」ではなく「ふれる」でなければなりません。
そして彼がそのように言うということは、とりもなおさず、いかに人の体にふれるということが難しいか、ということを示しています。〜