うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

黄砂?と、お正月の準備と、大あさりと、目先の利益に固執する「焼き畑式資本主義」から脱却せよと、「ザリガニ相談ダイヤル」と、【 つまり、多様性という言葉に安住することは、それ自体はまったく倫理的なふるまいではない。】

 

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 最近時雨れた後は、車のガラスが砂がついた様になります。黄砂が舞っているのでしょうか?アレルギー症状が出ておられる方も散見されます。

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 冬場は乾燥しているので、空がキレイですね! 寒さとか乾燥とかは関係なく、南半球でも、コロナ感染が拡大していますね……。

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 門松🎍作りで出たいらないものを捨てているところで色々もらって来ました(笑)。お正月飾りをきちんと作ります。

 

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 年末に帰省出来ない方と、いつも伊良湖岬にある茶屋で、大あさり定食を食べに行くのですが、今年はコロナでどこにも行けないので、今日ドライブがてら伊良湖岬に行き、焼いて頂き車で食べました。3つでしたので自分の分はなく(笑)、香りだけ頂いて来ました! 皆さん秒殺くらいの勢いでした……。

 

 下記は、斎藤幸平先生や、今日読み終えた『ひび割れた日常』にも似ていると思ってアップさせて頂きました。太陽光発電風力発電等の20年と言う寿命が来た時には、化石燃料を使わなくても良い時代が来ているのでしょうか?寿命がきたパネルなどは、化石燃料を使わなくても処分できるのでしょうか?結局は資本主義をなくそうとすればするほどなくならないようになってしまうのでは?と、現状のままでは思わざるを得ませんね.........。『ひび割れた日常』は、先程読み終えました!自分達の今を、その本を引用させて頂きながら、アップしていきたいと思っています。


「野獣飢えさすべし」

 持続可能な資本主義には納税の公平性が必要だが、焼き畑式の資本主義は、まさにその逆を目指している。

 その過程で、政府が基本的なサービスを提供する能力が著しく阻害される。パンデミックではっきりと示されたように、税金は可能な限り安いほうが企業は成功するという直感的な前提は事実上、間違っている。

「野獣飢えさすべし(Starving the beast)」論[編注]は、公衆衛生部門を骨抜きにしてきた。それがパンデミックのもとで、経済と企業に壊滅的な影響を与えている。経済活動を再開させた国々でうまく機能している有効性の高い措置を政府が取りたくても、米国にはそれを実行するための公衆衛生インフラがなかった。

 もう少し踏み込んで考えると、焼き畑式資本主義は政府への信頼を損なう。政府への信頼はこの数十年にわたって下がり続け、「過剰な規制」や政府のプログラムに抗議する運動が何度も不信をあおってきた。そうした抗議活動の資金は、企業が提供しているものだ。

 政府をほとんどの場合、あるいは常に信頼していると答えた米国人はわずか17%にすぎない。これは、過去半世紀で最低レベルだ。基本的な公衆衛生対策を着実に実行するという社会契約が崩壊していると、米国疾病予防管理センター(CDC)の所長代行を務めた経験を持つリチャード・ベッサー博士は指摘する。


 下記は、ヤフコメにもあるように、自分も何か年末に向けて、ザリガニと言う団体が生活の相談を受けてくれるのかと思って慌てて開いたら、文字通りの意味でした(笑)。コロナ禍、年末と慌ただしい中、少し笑わせて頂き感謝です!


 おそらく、大学院の一部の先生方は、下記を伝えようとされているのでしょうが、中々難しいと思われます。社会一般、世界を見渡しても争いばかり……。せめて自分たちの周りだけでも、下記に近づけようと皆さんと粘り強く頑張りたいです!


対主義の決まり文句「他人のことに口を出すべからず」は、それゆえ、反社会的な態度となる。思考を停止させるだけではない。

 会全体が関わってくる問題の場合には、そこにおいてどれほど意見が異なっていようとも、なお理を尽くして、お互いを尊重しつつ、なんとかして協調していけるような道を探らねばならないのに、この決まり文句によって、そこから目をそらしてしまうのだ。

  (……)理とは、「他人のことに口を出すべからず」が問題解決として役に立たないーーどれほど意見が分かれていようとも、一緒に問題を解決していかなければどうしようもないーー、まさにそのような問題に照準を当てたものだということになる。

 たちは、ともに生きていかなければならない。だから、なおも考え続けねばならない。これこそが、倫理そのものであり、倫理的にふるまうことにほかならない。


 まり、多様性という言葉に安住することは、それ自体はまったく倫理的なふるまいではない。そうではなく、いかにして異なる考え方をつなぎ、違うものを同じ社会の構成員として組織していくか、そこにこそ倫理があるというのです。