うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日のすろーの湯と、全米の若者が熱狂する「新しい社会主義」の衝撃=斎藤幸平(経済思想史学者)と、『人新世の「資本論」』斎藤幸平さんインタビュー マルクスを新解釈、「脱成長コミュニズム」は世界を救うかと、プロトタイピングの授業と、【この場合にはこうしなさいと道徳的に説いたり指図することは、一般的に言って、倫理の目的ではない。】

 

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 昨日も。人員配置に余裕があったので、男子だけすろーの湯に行きました!ゆっくり体を温めて、身体の芯をぽかぽかにします!身心不二ですね!

 今日はプロトタイピングの講義がありました。Photoshop二回目は、課題がありました......。使い慣れていないので、悪戦苦闘.......。皆さんは本当に使いこなされていましたが、自分は今まで積み上げてきたセンスだけで誤魔化しています.......。コロナ禍の早い終息を願って、作りました!

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 少し前の記事ですが、レポートに使いたい個所があります。

 マルクスがなぜ今、もてはやされるのか?マルクスは資本主義が地球を滅ぼすことを予言していたと、この本を読んで初めて知りましたし、研究ノートの内容は、自分はこの本に頼るしかありませんが、多岐に渡っているようですね。最近、良い本に巡り合えて本当にラッキーだと思います。LINEも、国が(国民が)共同で作り上げないといけないインフラだと思っていたのは、間違いではなかったとも思いました。公共料金や税金なんかもLINEやペイペイでなんて、何を考えているのか?

公共財という提案

 その後、欧米やアフリカで講演をするなかで、新しい社会主義のビジョンを発展させてきた。ポイントを手短に3点だけ挙げよう。

 第一に、マルクスによれば、生産力の上昇は失業の恐れではなく、潤沢な社会を実現するべきである。つまり、オートメーション化が実現するべきなのは、労働時間の削減だ。ケインズは2030年までに週労働15時間の世界が実現されると予見していた。現状はそのことからは程遠いが、ケインズは間違っていたのだろうか。いや、ケインズの予測は正しかった。ただ、技術発展の成果を一握りの人々がすべて独占し、格差を広げているために、私たちは際限のない労働に駆り立てられているのである。

 第二に、私的所有は、貨幣を持つ人にしかアクセスを与えないことで、人工的に希少性を生み出し、貨幣獲得のための労働に駆り立ててきた。だから、社会主義は、この希少性を廃棄しなくてはならない。『未来への大分岐』(集英社新書、980円)で米国の哲学者・マイケル・ハートが強調しているように、人々の生活に不可欠なサービスや財を脱商品化して、無償化すべきなのである。

 つまり、人々の生活に不可欠なものを、私有でも国有でもなく、人々が自分たちで民主的に管理する「コモン」(公共財)にしようという提案だ。水や電気、医療や教育、住居さらにはインターネットなども、万人への開かれたアクセスを保証する制度設計を試みる運動が現れてきている。

 例えば、安い移動手段をウーバーのような営利企業に任せてはならない。トラムや電気バスのような環境に優しい無償の公共交通機関を拡充すべきである。そのうえで、公共交通機関で移動手段を賄うことが難しい場所に関しては、ウーバーを公有化して非営利の移動手段として活用すべきだろう。

 ここでのポイントは、コモンとしてのウーバーは、国有である必要はなく、市民が非営利のプラットフォームとして管理すればいいということである。シェアリング・エコノミーには、ソ連の上からの国有化とは異なる、民主主義的な生産の管理という可能性がある。


  倫理と道徳の違いを、自分はきちんと認識していたのか?していませんでした......。勉強になりました!

不確かな道を創造的に進む
 〜理学者のアンソニー・ウエストンは、「倫理には創意工夫が欠かせない」と断言します。古田も参照している『こかから始まる倫理』の中で、ウエストンは、やはり道徳と倫理を区別しつつこう述べています。

 の場合にはこうしなさいと道徳的に説いたり指図することは、一般的に言って、倫理の目的ではない。

 の真の目的は、考えるための道具を与え、考え方の可能性を広げることにある。世の中にはそんなに単純で明確なことなどめったにないということを認めーこれは倫理の根本であるー、それを踏まえて、困難な問題を考えていく、そのために倫理はさまざまな可能性を示すのである。

 から、進むべき道を求めて格闘し、不確かなまま進んでいく、それなしには倫理はありえない。

 えるための道具を与え、考え方の可能性を広げるものとしての倫理。そのための方法としてウエストンがあげるのは、たとえば「ことばを慎重に選ぶ」ということです。