うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日のうたたねと、アート思考本を読んで感じた【アート思考の限界】と、その課題を突破する【行為としてのアート】と、マスコミが報じない「コロナ禍の国内工場の異常な強さ」の中身と、【母親が赤ちゃんのために、確実に、しかし侵襲的でなく存在しておこうとする意思を持っていることこそが、赤ちゃんの遊ぶ能力の基礎となります。】

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 うたたねのバラが、いつもよりきれいに咲きました!お地蔵さんが来たせいでしょうか?

 

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 昨日は、女子も男子もすろーの湯に行きました!女子が終わるまで男子はドライブ!

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 昨日も皆さん笑顔で終われたこと、感謝です!

 

 下記は中々面白い読書評でした。読みたくなった本もありましたし、書評だけでも勉強になりました!


 下記が本当ならいいですね、ANAトヨタとかの大企業に職員の受け入れを依頼したと言う記事もありました。

 

 

 ケースメントが続きます!毎回、現場で使える個所ばかりのような気がしますし、忘れてはいけないことだとも思われます!

 ~親が赤ちゃんのために、確実に、しかし侵襲的でなく存在しておこうとする意思を持っていることこそが、赤ちゃんの遊ぶ能力の基礎となります。

 のとき赤ちゃんは、存在しているものとしても、不在のものとしても母親を使用できます。さらに(逆説的に)、当然母親は背後に存在しているとされるだけで、この遊ぶことが可能になるのです。

 年長児(患者にも当てはまりますが)では、一時の不在から母親は必ず戻ってくるとあてにできることが、子どもがひとりのときでさえも強迫的にならず創造的に遊べるようにしてくれるのです。

 析中の患者たちも同じように、創造的な遊びのために分析家を使用できるようになります。患者によっては、その事態がまさに精神分析の本質となります。しかしそれは、ある確かな状況下でのみです。