蔦と、今日のうたたねと、退学希望者が続出「幻滅大学」の酷すぎる実態 コロナで浮き彫りになった格差と、徹底してこそ「人」が本当の差別化要因になると、【 しばしば、自己防衛やよく見られたいという動機も関係しており、ほとんどの場合患者は、意識的であれ無意識的であれ、この動機に気づいているものです。】
今日は男子だけ、すろーじゃむの湯に行きました!
雨が降ると言われながらも、ここしばらくは日中は晴天が続いています。
すろーじゃむの駐車場から外を眺めたところです。蔦が伊勢物語の東下りの段を思い出してしまいました。それと、宗達と光悦ですね!しのぶの葉なら、伊勢物語の第一段ですね。伝統工芸の文様は、奥深いですし、教養がなければ読み解けません。
今日は人数が4名だけでしたので、ゆったりと入りました。
終わった後は、親分さんの送迎でした..........(笑)
明日は、ひっそりした(笑)アトリエ・カーグの日です!机をたくちゃんとすろーじゃむから、うたたねに移動しました。
帰宅前の空もきれいでした!
下記は先ほど覗いたものですが、自分達社会人にはリモートの方が、時間的に助かると思われます。大学院の先生方も、本当はもっと強く言いたいのを抑えている気もしないでもありません。高校を出て間もない方々には、リモートでも教育を受けることがどんなにありがたいことかは、理解が出来ないでしょうね。友人を作りに行く場でもあり、勉強以外での出会いとかも、大事なことですもんね!でも、下記のような問題をこの記事に沿って解決したいのなら、先生方が研究されているその現場で起こっている問題を、いくつか挙げて、それをどうやって解決していくのか?を、それぞれの、先生が出すだけで、沢山の課題が出ると思われます。逆に、本当に現場に沿った人間を抑圧を受けることなく、柔軟性を持ってそれぞれの問題に向き合うことが出来れば、新島襄先生の言葉も生きてくるのではないでしょうか?現場には課題が沢山落ちてますし、それを見つける方法を指導すれば良いだけと思われます。いきなり学部生からゼミみたいになってしまうのではなく、最初に社会のこんな現場ではこういった課題があるので、まずは基礎から、基礎を学ばないと、身に着けないと、応用が効かないことを徹底的に(笑)、それが今の時代では抑圧と言うのでしょうか?でも、ワークスルーしないと何事も、できませんね........。全て大学のせいにするのも、何か違うような気もします。
下記には、やはり徹底とありますね! 簡単には差別化はできませんね!
下記もケースメントです。現場では、自分達支援者が逆に援助される場面も沢山あります。でも気を付けないと、相模原の痛ましい事件のような感じになります。しっかりしたメンターの育成が、福祉の現場での一番の課題かもしれません。自己防衛になってしまっているとか、投影をまともに受けているとか、逆に投影してしまっているとか、直ぐに気づけるメンターの存在は重要だと思われます。
4.分析家や治療者が援助しようとすることで、誰が最も援助されるのか?
~援助しようという行為は一見他愛的に見えますが、必ずしもそれだけに由来しているのではありません。
しばしば、自己防衛やよく見られたいという動機も関係しており、ほとんどの場合患者は、意識的であれ無意識的であれ、この動機に気づいているものです。そしてこれが、しばしば患者の生活史と重なってしまうようです。
したがってその後に続く出来事は、分析関係における外的現実と、その現実に基づいて形成された転移とが融合してしまうものとなるでしょう。~