今日のうたたねと、高須克弥院長、PCR検査の難しさ吐露「検査の名人と未熟人の区別するのは素人には無理です。困ったこと」と、モーリー・ロバートソン「新型コロナは格差社会の底辺を直撃した!」と、【 玩具のない面接室で箱庭療法が不可能であるように、クライエントの内的世界を展開させるのは、空白のスクリーンではなく、外的な何者かのリアリティーなのである。】
遅番で入ったら、お昼は予約してあるので、もらって来てとのことで、鉄火丼をもらって来ました。自分も数に入っていと頂きました。美味しかったです。
お風呂の前にドライブをしていたら、暑くてアイスクリームを食べました。牡丹咲いて、ツバメも飛んで、初夏ですね。でも、世界中明るくなりません。
すろーじゃむの湯に入って、嫌なことは忘れました!
下記は、昨夜見たものと、先日見たものでしたか? 毎日慌ただしく過ぎていくので、今日は何曜日なのか?分からない日が多くなりました。
普通のPCR検査でも難しいのに、RT‐PCR検査は、もっと難しそうですね。
下記は、本当にそうですね........。多様化社会って、やはり大企業が、戦略に利用していただけだと言われても仕方がないかも知れません。かつてのホワイトカラーとブルーカラーの区分けのように、はっきりではなく、何となく、煙に巻かれたように.......。
東畑先生の引用ですが、自分たちも、美的センスというか、美意識を持って現場に臨みたいものですね。絶対に自分が嫌なことは、他人にもしないというのが自分の美意識ですが、100%出来ているのか?と、突き詰められると、自信がなくなります........。
『二者の関係を賦活するようにして機能するのである。』は、死語のようですが(笑)、退行した時には、それしかないとも思われます。
4章 玩具の存在論
9 まとめ
~面接室にとっての美とは、臨床家のありようを伝えるものであり、クライエントの内的な世界を触発する主体性を備えたものである。
それは面接室にいる二者の関係を賦活するようにして機能するのである。
玩具のない面接室で箱庭療法が不可能であるように、クライエントの内的世界を展開させるのは、空白のスクリーンではなく、外的な何者かのリアリティーなのである。
それは美的になされるコミュニケーションが、意味をめぐる関係性の背景で、それを支える基盤として機能していることを示唆するものである。~