今日も、男子はすろーじゃむの湯に行きました。
毎回、同じような絵になるので、今日はすろーじゃむの象徴的なものをアップしました。
下記は、昨夜見ていたものですが、見てみたいですね。
下記は、帰宅後見た記事ですが、衝撃的でした。最近皆さん慣れ過ぎて危機感がなくなっていますね.......。愛知県なんか現時点では東京都よりも感染者が多いのに、どこかの国みたいに、抑え込んでいるって..........。愛知トリエンナーレの補助金も(笑)、それなら右寄りの作品も展示すべきだったですね!自分は右でも左でもありませんが、どちらかに偏るのはおかしいと思います。そんなお金があるなら、今は非常事態のほうに回すべきではないでしょうか?
新型コロナウイルスの感染者も、人口比からしたら、東京都と比べ物にならないし、北海道や大阪の若い知事さんは本当に頑張っておられると思います。
今回から、東畑先生の引用です。自分に皆藤章先生と、アーサー・クラインマン先生を教えてくれた本です。皆藤章先生とアーサー・クラインマン先生の本を何冊か読ませて頂いた今、改めて読み返すと、本当に両先生の影響の大きさが分かりますが、彼独自の世界観も随所に出ていて、考えさせられ、勉強もさせて頂きました。
『心理療法のために「生きる」ことがあるのではなく、「生きる」ことのために心理療法があり、「生きる」ことは生身のからだとローカルな場所なくしてはありえない。』は、生きた言葉ですね。生きた時間を、生きた言葉、生きた行動で過ごすことが出来ないと、本当の支援は出来ません。
『日本のありふれた心理療法』
東畑開人著
序章ポストモダンのローカルな心理療法論
5 ポストモダンの心理療法論ーーステイ・ローカル
~心理療法はこれからグローバル・スタンダードであることにますます大きな価値を置いていくことになると考えられるからである。そのとき、心理療法はますます専門的になり、高度化し、均質化した訓練を整備していくことになるだろう。「心理療法のあるべき規範」は強まっていくように思う。
それ自体はもちろん悪いことではない。私たちの仕事にはしっかりとした訓練が必要だし、規範をないがしろにするときに、危険なことが起こりやすい。
しかし、だからこそ、ローカルな妥協による「ありふれた心理療法」を語り、評価する枠組みを私たちは同時に整備しておく必要がある。
心理療法はおそらく最後までローカルなものを捨て去ることができないからだ。
心理療法のために「生きる」ことがあるのではなく、「生きる」ことのために心理療法があり、「生きる」ことは生身のからだとローカルな場所なくしてはありえない。~