うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

早起きは三文の徳と、今日のうたたねと、虹と、コロナで外出できず“食べてみたらおいしかった”…進化続ける『非常食』最前線 前年の32倍売れた商品もと、【母親が子供の状態を感じるためには、子供が母親に抱かれうる必要がある。】

 

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 早番だったので、4時に起きてうたたね横のファミマの駐車場で6時まで本を読んでいました。自分は勤勉ではないので、読書もギターもストレッチも、間を置くとやる気がしなくなるので(笑)、やる気をなくさないためには、毎日続けるしかないのです。

 今日も空がきれいでした!

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 一仕事終えて、皆さんとドライブしていたら、ジブリに出てきそうな風景に出会いました!もうすぐ左手の山は、松茸で入山禁止になります。

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 午後からは、すろーじゃむの湯に行きました!

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 わんちゃんたちは、順調に成長しています!

 

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 忘れるところでした(笑)。すろーじゃむの湯の帰りに、豊橋の方の送迎があり、その途中、きれいなアーチ型の虹が出ていました!

 

  下記は、昨日主任さんが非常食を買ってきてくれていましたので、気になって見てしまいました(笑)。でも、おいしいのは高いですね........。

 今回も村上先生の『自閉症現象学』からです。

下記のウイニコットの引用の仕方は、精神分析と哲学って、カテゴリー分けする意味があるのかな?って思ってしまいました。ラカン木村敏先生の本を読ませて頂くと、余計にそう思ってしまいます。

 また、やはり現場を知らない方々の話を聞いても、何も感じないのは当たり前だな!と、下記を何度も読み返してみて、余計に思うのでありました(笑)。知らない奴ほどムキになって喧嘩吹っ掛けてきます(笑)。

 何事も現場が基本ですね!

第4章 平らな空間
4 安心感
安心感の現象学自閉症
 っこという現象に関しては、イギリスの小児科医で精神分析家であるウィニコットがすでに詳細な分析を加えている。彼によれば、抱っこholdingは乳児に安心感・安定感のみならず身体的な統合を与える。定型発達の場合は、これが自己感の基盤となる。
 っこをする母親は、子供の身体のバランスがどういう状態にあり、快適なのか不快なのかを自然と感じとる。つまり母親は単に物理的安定感を与えているだけでなく、視線触発によって開かれた間身体性の次元において、子供の体(運動感覚や情動性と、その強度やリズム)を感じ取り、シンクロしながら支える。こうし、第2章で分析した感情表現と非言語的コミュニケーションの基盤が形成される。
 て、子どもが抱かれようとしないとき、母親は物を持っているように感じることになるからこのとき何が起こっているのであろうか。母親は抱っこをことが受容することを期待しているはずである。それが期待通りにいかない場合、母親の働きかけは脱臼する。抱っこという「お互いの視線触発の中で、お互いの運動感覚が調和して、一つのシステムを作る働き」が作動していないと言える。
 親が子供の状態を感じるためには、子供が母親に抱かれうる必要がある。これが欠損した場合、母は子供が何を「考えている」のかわからなくなるであろう。子どもの身体状態や感情を感じ取れなくなる。それゆえ、重い自閉症児を前にすると、目の前にいるにもかかわら、あるいはたとえ彼が私によじ登ったとしても、お互いが別の世界に住んでいるような印象を受ける。
 型発達の場合、子どもは母親の抱っこやケアの安定を自分の安定そのものとして生きている。抱っこが自分自身の構造なのである。。知らない人に抱かれることで普段と異なる間身体性が生じただけで、安心感は崩れて泣き出し、パニックを起こすほどである。つまり、子どもは間身体的を自分自身の安心感として生きている。