今日もと言うか、今日は暑かったですね!
今日は少し寂しかったですが、その分堪能できたのではないでしょうか?
ラッコばちゃん(笑)
今日は遅番でしたが、1時間30分前に主任さんが、大体仕事が終わったのでもういらない(笑)って言って来たので、早めに現場を出していただき、隣のファミマの駐車場で、1時間だけ本を読んで帰宅しました。38℃は19時半の気温です...........。
明日からは、また平常通り忙しくなります!
秋学期から、土曜日だけ対面って本当にできるのでしょうか?今日は神奈川県と愛知県の数が逆転していますが、東京も相変わらず凄い数字だし.........。対面の授業は、2期生さんと受けようかな?どちらにしても、様子見ですね!
これだけ出ても全国的に緊急事態宣言が出ないのは、やはり経済を回そうとしているからでしょうか?致し方ないことですが、政府も言えないのは理解はしているつもりですが、財政的にできること、できないをことをはっきり言わないといけないところまで来てしまっている気もします。
今日は8月15日ともあってか?香港関連のニュースを見つけるのに苦労しました.....。
国連さん!まだでしょうか?
下記も第9章の続きですが、自分がこの6年間読み続けている、精神分析の内容と全く同じように感じます。『このような乳幼児期の「我ー汝関係」は、自我の中心が形成され、対象の知覚、言語の使用などを通して、「我ーそれ関係」が形成されてくるにつれて、「生得的な汝との体験」を記憶に残しながら背景に退いていきます。』は、特に自分達が現場でしていることでもあります。それに気付けるような支援をさせて頂く中で、徐々に離れていくことですね!
~乳児期の「出会い」についてブーバーは、「生得的な汝」への関係を生きることと表現しています。出会いの相手は親しく語り掛ける相手(ドイツ語のDu)であって、たんなる経験の対象である相手ではありません。
このような乳幼児期の「我ー汝関係」は、自我の中心が形成され、対象の知覚、言語の使用などを通して、「我ーそれ関係」が形成されてくるにつれて、「生得的な汝との体験」を記憶に残しながら背景に退いていきます。
この「出会い」とは、たんなる個人の体験を意味しているのではなく、時間と空間が生まれる出会いです。出会いの相手は、人間に限らず、自然や、精神も含まれます。物事や人間に対するひたむきな態度、自己の損得を勘定に入れない、自己中心性から解放された、自分と相手の区別や境界線が意識されなくなった無心の状態こそが、「至高性をもつ出会い」となります。
これはつまり他者の身体が現れたときに、自己の身体も無意識のうちに共振、共鳴、共感して、受動的な「対化」ないしカップリングが行われると言うことです。~