今日の日中と、【チョムスキーの深部構造の概念の基礎にある仮説は、人間はでたらめに体験を組織化することはない、ということである。】と、サリヴァンと中井久夫先生
今日は、地元で色々な催事があり、大部分の方が、丼街道に行かれました。
賑やかだったようですが、自分たちは、福祉の集いに出掛け、そのままマックに行きました。利用者さんも、支援者も知り合いが沢山いて、挨拶が絶えませんでした。
お昼は外食が多いので、皆さんの予算(一番少ないのは自分ですが......)に応じて(沢山の方や、少ない方がいますので)皆さんで決めると、マックかすき屋になってしまいますね。朝食と夕食は手作りなのでご安心を!
かおちゃんは、すき屋組!お買い物もされてきました!
シフトが少し乱れたので、みんなで協力して無事何事もなく一日が過ぎようとしています。皆様に感謝です!
下記を読んでいて、またまた、中井久夫先生を思い出しました。
難しい記述ですね。前後がないので余計に難しく感じてしまいます。
心理的深部構造
~チョムスキーの深部構造の概念の基礎にある仮説は、人間はでたらめに体験を組織化することはない、ということである。
絶対的に新鮮に知覚されるものは何もない。すなわち存在するシステムから、自由に知覚されるものは何もない。
意味が絶対的に新たに生成されることはありえない。
生得的構造という観点からの体験処理に関する、きわめてよく似た理解は、言語学の領域のヤコブソンとソシュール、人類学から領域のレヴィ・ストロース、発達心理学の領域でピアジェが発展させてきた。~
下記は、中井久夫先生からの引用ですが、サリヴァンを思い出しますね。
青字の所は、サリヴァンです。
〜たとえ臨床的に興味あることが多くからたくさん語られたとしても、乳幼児の側から見れば、その行為は音声(vocal)であって言語(verbal)ではない。歌詞ではなく音楽が伴っているのである。〜
~私のいう「深部構造」とはチョムスキーの概念とはちょっと違っている。文法の深部構造だけが問題ではない。音調、抑揚、音の質、さらには音と音との相互作用たとえば語呂合わせ、韻、頭韻、音のひびきあいなどという言語の肉体的部分、意味の外周的部分(伴示)や歴史、その意味的連想、音と意味との交響、それらと関連して唇と口腔粘膜の微妙な触覚や、口輪筋から舌筋を経て舌下筋、咽頭筋、声帯に至る発声筋群の運動感覚(palatability とは palate 口蓋の絶妙な感覚を与えるものであって私はこの言葉を詩のオイシサを指すのに使っている)、音や文字の色感覚を初めとする共感覚がある。さらに非常に重要なものとして、喚起されるリズムとイメジャリーとその尽きせぬ相互作用がある。(中井久夫『アリアドネからの糸』より)