うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

いただき物と、東京 31日の感染者数 460人台の見通し 1日で最多 新型コロナと、マスクとアルコール消毒液の転売規制 解除へと、【こうした状況のなかで知識人が、弱い者、表象=代弁されない者たちと同じ側に立つことは、わたしにとっては疑問の余地のないことである。】

 

f:id:ka-gu:20200731185538j:plain

  今日は休みでしたので、最後に残していた、個人的に一番難しい課題を午後からやりましたが、文字数が指定の半分しか埋まらず(笑)、教授に泣きを入れましたが、まだ返事がありません.......。午前中は、宇沢先生の本を時間を忘れるくらい読み、後16章のみとなりました。

 現場に来客があったようで、親分がもらってきた頂き物を、食べてから講義に(笑)。

 今日でめでたく?春学期が終了しました!これまで書いた課題やレポートが返ってきませんように......。10月5日から秋学期なので、8月9月は現場にどっぷり入れますし、読みたい本を思いっきり読みたいと思っています!

 

 

 毎日、毎日、記録更新してますね.......。

 

 

 下記のニュースは、変な感じがしませんか?感染拡大の中で、いちいち発表するような内容でしょうか? 不確実性を無視してませんか?


 

 春学期に使用する教科書を全て読み終えたので、気になっていた宇沢先生についての本を読ませて頂いていたら、入り込んでしまいました。600頁ある中で、500頁まで進みましたが、経済学史と宇沢先生を絡めて進んでいくので、本当に勉強にもなり、まだまだ学ばねばならいことも、教えてくれた気がします。下記は宇沢先生の言葉ではありませんが、本当にそう思ったのでアップさせて頂きました。アカデミックなものはそれなりに利用価値はありますが、それと現実が繋がっていなければ何の役にも立ちませんね。整った論文よりも、現場に基づいた論文の方が読んでいて頭に入ってきます。

 

『資本主義と闘った男』宇沢弘文と経済学の世界

佐々木 実著

第14章 空白の10年

  ~水俣病を見てしまった者の責任」という言葉を原田はしばしば口にした。晩年に出版した自伝『命の旅』では、文学者であり哲学者のエドワード・サイードの知識人論に触れている。原田が深く共鳴したのは、サイードによる知識人の定義である。

〈政府から企業に至る大組織のもつ強大な権力と、個人のみならず従属的位置にあるとみなされる人たち――マイノリティ集団、小規模集団、小国家、劣等もしくは弱小な文化や人種とみなされるものに属している人たち――が絶えている相対的に弱い立場とのあいだには、内的な不均衡が存在している。こうした状況のなかで知識人が、弱い者、表象=代弁されない者たちと同じ側に立つことは、わたしにとっては疑問の余地のないことである。知識人はロビン・フッドとか皮肉られそうだ。けれども、知識人の役割は、それほど素朴なものではなく、またロマンティックな理想論の産物として容易にかたづけられるものでもない。わたしが使う意味でいう知識人とは、その根底において、けっして調停者でもなければコンセンサス作成者でもなく、批判的センスにすべてうぇお賭ける人間である。つまり、安易な公式見解や既成の紋切り型表現をこばむ人間であり、なかんずく権力の側にある者が語ったり、おこなったりしていることを検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間である。ただたんに受け身のかたちで、だだをこねるのではない。積極的に批判を公的な場で口にするのである〉(『知識人とは何か』エドワード・W・サイード平凡社