先日、メロンの寄付がありました!メロン農家さんからで、皆さん喜んでおられました!
今回のアップは、宇沢先生の続きですが、欧米も今の中国と同じようなことをやってきましたが、時代の流れには逆らえないですね。これも先にやったもん勝ちなのでしょうか?日本もアメリカの植民地(未だに)という声もありますが........。
今の日本の野党は、真のリベラルではないと、宇沢先生の本を読ませて頂いて、余計に強く思いました。周庭氏のように命を懸けて国民を守る意思が全く見られません。
確かに、世界的にMBAの教科書として使われている、バーニーの企業戦略論は、リソース・ベースド・ビューですが、内容はアメリカ的です。経営戦略やマネージメントがアメリカ発なので仕方がないのかも知れませんが、し烈な争いの中で生き残るには、第2次シカゴ派(勝手にフリードマン以降をそう呼んでいますw)的にやっていかないと、潰されてしまうのかも知れません。本を読ませて頂き、宇沢先生が帰国されたのはベトナム戦争が起こってしまったからだとの説明は、宇沢先生の生きざまを読んでいたら納得できますし、一人殺すのにいくらかかるのか?と言うのを経済学者がやっていたと言うのは、ショックでした。
現在は。スィーガルと並行して、野中先生の本を読ませて頂いていて、知識ベースでの組織開発が、現時点では柔軟性とともに大事な戦略だと改めて思いました。
第16章 未完の思想
スティグリッツとの再会
〜宇沢がスティグリッツからどのような話を聞いていたかを知るうえで、同書は参考になる。
同書が明らかにしたのは、「ワシントン・コンセンサス」の問題である。発展途上国への経済支援が事実上、IMF(国際通貨基金)、世界銀行、さらにはアメリカの財務省の三者の合意によって推進されていることを、スティグリッツは告発した。
ワシントン・コンセンサスは、レーガン大統領以降の市場原理主義の潮流を象徴する統治のあり方であった。〈市場はしばしば有効に機能しないとする信念のもとに設立されたIMFが、いまでは市場至上主義になって、熱烈にそのイデオロギーを信奉している〉とスティグリッツは指摘し、IMFと世界銀行が緊縮財政、民営化、市場の自由化の推進役となっていることを批判している。
スティグリッツは、世界銀行がどのような経緯で変貌したのかについても具体的にのべている。
レーガン大統領が誕生した1981年、アルデン・クローセンが世界銀行総裁に就任した。クローセン総裁のもと、世界銀行の中枢を担う調査部では「粛清」が起きる。それまで調査部を率いていたのは、ホリス・チェネリーだった。第7章で触れた通り、2部門モデルをはじめとする宇沢の経済成長理論に影響を与えた開発経済学者である。
世界銀行のチェネリー率いるチームは、「なぜ発展途上国では市場が有効に機能しないのか」「市場を育て貧困を撲滅するために政府は何ができるのか」という点を重視していた。しかし、クローセン新総裁のもとでチーフ・エコノミストがチェリーからアン・クルーガーに交代すると、「自由市場こそが発展途上国の問題を解決する」という市場原理主義へと180度方向転換する。
世界銀行は、レーガン大統領色に染め直されたわけだ。「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」でスティグリッツがのべている。
〈今日、IMFと世界銀行が活動するところは、ほぼ例外なく発展途上国である(少なくとも彼らの融資先はすべてそうだ)が、その機関を統括するのは工業国の代表者である(習慣からか暗黙の合意によってか、IMFの長はつねにヨーロッパ人、世界銀行の長はつねにアメリカ人である)。その選任は閉ざされた扉の背後でなされ、発展途上国での経験の有無が選任の必要条件とされたことは一度もない。これらの機関は、それが奉仕する国の代表者ではないのだ〉
世界銀行が、「構造調整融資」で発展途上国を支援する際、IMFが融資条件として、「自由市場イデオロギー」にもとづく政策を受け入れるよう迫るという手法が確立された。〈この二つの機関が最も劇的に変化したのは、1980年代にロナルド・レーガンとマーガレット・サッチャーが、それぞれアメリカとイギリスで自由市場イデオロギーを布教していた時期である〉とスティグリッツは断言している。〜