うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日のうたたねと、金曜日の講義と、【この点について松田は、民族を論じるなかで、現実のなかで生きる営みのなかに、「民族という存在は、確固としたリアリティをもって実在し」、「それは単なる記号でも、文化的発明物でもない。】

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 今日は早番で、早めに出勤してうたたね横のファミマの駐車場で教科書を読んでいたら、夜勤者が窓を開けたときに見ていたようで(笑)、怖い顔をして本を読んでいたと(笑)。教科書でしたので、難しく同じ個所を何度も読み返していた時でした(笑)。

 約束通り、たくちゃんにマスクを差し上げました。自分のも今朝作り、一緒にピース!

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 午後からは、女子も男子もすろーじゃむの湯に行きました!

ブドウの実が、大分大きくなっていました!

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 女子が出るまで、話などされて待っていましたが、急にいのうえっちが、いたずらをやりだし(笑)、皆さん盛り上がっておられました(笑)。

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 最後は、サボさんヘルメットで、自分の一番いい顔選手権になっていました!誰が優勝でしょうか?



 
金曜日の夜の講義の中で、グループに分かれて、アメリカで起こっているデモについてのディスカッションがありました。非常に難しい問題で、トランプさんを責めるような形にどのグループもなっていましたが、自分は社会構造の問題と捉えました。多様性とかなんだかんだと言っても、結局は、昔のブルーカラーを作らないと商業ベースに乗せるような産業y構造というか、民主的と言いながら、格差はなくなっていないし、格差をなくす気もないと思われます。本当の意味での民主的と言うのは、誰がきちんと説明・実現できるのでしょうか? 人種差別は、障がい者差別は、同和地区の差別は、本当になくなるのでしょうか?

 中国で、コロナが収まったと言われる地域の工場に真っ先に行かされたのは、ウィグル族の方々だとの報道がありましたが、もしそれが本当なら、教育と称して、安価な雇用を生み出さないと、世界の工場と言われなくなるので、人権を無視するしかないのかな?とも思ってしまいます。でも、それは昔列強と言われていた欧米が植民地に対してやっていたことでもなかったでしょうか?別に中国の方を持つ気もないですが、歴史を紐解けば、元々自分達がやってりたことを他の国が、時代が進んでやったら強く否定するというのも何なんだろうと思ってしまいます。

 

 下記にもあるように、「民族という存在は、確固としたリアリティをもって実在し」、「それは単なる記号でも、文化的発明物でもない。現実に人を差別し、ときには殺人まで犯す力を秘めた具体的な存在」であると指摘する。が、今世界で(連綿として)行われているだけと思うのは、自分だけでしょうか?

 
 ~かしここで、およそ人間がつくり出したすべてのものをフィクションと呼ぶのなら、そうでないものはないのか、あるとすればどこにあるのかという素朴な疑問が生じる。

 の点について松田は、民族を論じるなかで、現実のなかで生きる営みのなかに、「民族という存在は、確固としたリアリティをもって実在し」、「それは単なる記号でも、文化的発明物でもない。

 実に人を差別し、ときには殺人まで犯す力を秘めた具体的な存在」であると指摘する。

 の指摘を拡大解釈して、人間関係営みのなかに生きている実感があると考えれば、「社会主義者生命力の乏しい道徳的・倫理的模範を人間に求める傾向を強めるとき、社会はフィクションとして姿を顕し、人間は生きる営みのなかに生きている実感を見出だしていく傾向を強めるということができるであろう。

 こにおいても、主体の復権をみることができる。