うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アルコール消毒液が来た!、と放置はダメ! 車内に消毒用アルコールと、昨日のうたたねと、【われわれの人生そのものが、ひとつの創造過程である(河合 一九八三)。】

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 品不足だった、アルコール消毒薬が来ました。マスクも備蓄できたので、今年はもう大丈夫ですね。

 送迎車などに何かあったときにと、アルコール消毒液を載せていますが、これからはそれ用のセットを作って、乗降時に乗せたり降ろしたりします。

 

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 昨日は、今日法務局に行く準備で自宅と事務所を行ったり来たり。シフトは休みでしたが、それが終わると現場と講義に集中できるので、ちょっと一息で来ます!

 夜はパプリカで盛り上がっていたようです!

 

 下記も、皆藤先生からの引用ですが、思い言葉です。

最後の河合先生の言葉は、生活そのものがアートだと言う、岡倉天心先生の言葉と同じように思えました。

  ~様な生き方ができるということは、一見して自由なことであるように思われるが、実はそこには、ある生き方を選択し決断しなければならない(区切らねばならない)という、現代人が抱える大きな作業がある。

 この作業に本質的なこころの機能を筆者は「決断の力」と呼ぶ。

 のことを別のことばで言うと、「生きる意味」の探求とは、はじめからどこかにあるとされる「意味」に向かって生きることではない。

 うではなくて、生きる営みのプロセスそれ自体のなかに潜在的に「意味」はあるのであって、個々がどこで「区切る」かによって、それぞれの「意味」が生命力・創造力をともなってもたらされてくるのである。

 味」を求めて生きるのではなく、生きる営みのなかに「意味」がもたらされてくるプロセスと言ってもよい。あるいは、目的があるから生きられるのではなく、生きる営みのなかに目的がもたらされてくるとも言える。

 たらされてくるためには、どこかで区切らねばならない。現代を生きるなかで、われわれにはこのような決断の力が必要になっていると筆者は考える。

 のようにみるときです先に引用した河合のことばはいっそう意味深く響いてくる。


 れわれの人生そのものが、ひとつの創造過程である(河合 一九八三)。