うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

教材に使う本と、川べりの家と、スタジオジブリがWeb会議などで使える壁紙を無料提供と、【河合(1922)が心理療法における現実を論じる上で、醜形恐怖の例を出しているのはこの意味で象徴的である。】

 

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 教材の本を完全に2冊は読み終えましたが、何冊かは読みかけになっていますが、講義内容がはっきりしてきて、それに使う本もはっきりしたものがあるので、近い講義のものからとりあえずは読み進めます。次は組織開発の探求です。いよいよ土曜日からzoomでの講義が始まります。交通費はラッキーですが、講義が始まる直前までこき使われるので(笑)、それはそれで大変ですね..........。

 

 

 少し前までは、神様だけが知っていると、嘘でも言えましたが、もう今では、神様さえも、事の成り行きが分からないんじゃないか?とも思えてきました。でも、みんな生きている。生きた時間を生きていると、感じたときにだいぶ前に見た下記を思い出しました。スタジオで録音されたものは、完成度が高く、商品価値としてはあるのでしょうが、音楽やアートはやはりリアルや、リアルに近いほど、感動を呼びます。便利になって、自分の実力以上のことが出来る世の中になり、皆さん勘違いを始めていないでしょうか?障がいをお持ちの方々の支援をさせて頂いていて、アナログの素晴らしさに感動さえ受ける自分はきっと時代遅れなのかもしれませんが、その場、その場に合わせた支援や音を即座に出せるのは、成長したAIには簡単にできるかもしれませんが、今は生きている人間しか出来ないことでもあり、真摯にそれに向き合って来なければ出来ないことでもあります。千利休が言ったように、技術は二の次で、一番大事なのは一期一会、すなわち、人を思いやる心だと思います。


  ジャパンデザインネットさんから、こちらにはいりました。これはいいですね!


 美的身体を生きる主体のリアリティーが顔にあるのに対して、それを聴く者のリアリティーはこころに置かれる。そして不幸なことに、このようなリアリティーをお互い押しつけ合う。は、現在の世界を表しているのかも知れませんね.........。

 利用者さんたちだけが不安ではなくて、支援者も不安の中、職業意識があるので、何とか持ち堪えているのだと思われます。エイブリーが試験管を振ることで自分の存在を保っていられたのと同じように。

 おそらく終始、エイブリーを支えていたものは、自分の手で振られている試験管の内部で揺れているDNA溶液の手ごたえだったのではないだろうか。(生物と無生物の間・福岡伸一著)

 

6章 皮膚的な自己
5 Beauty is only skin deep
  ~から、「顔じゃないよ、こころだよ」という常套句の背景にあるのは、美的身体をめぐる苦悩を理解しようとする試みではなく、むしろ共感不全そのものである。

 合(1922)が心理療法における現実を論じる上で、醜形恐怖の例を出しているのはこの意味で象徴的である。すなわち、醜形恐怖のクライエントの訴えはそれを聴く者にリアリティーについての共感不全を起こさせる。

 的身体を生きる主体のリアリティーが顔にあるのに対して、それを聴く者のリアリティーはこころに置かれる。そして不幸なことに、このようなリアリティーをお互い押しつけ合う。