うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ギターで参戦と、バンクシーも在宅勤務?「家で仕事をすると妻に嫌がられる」と、【何かを意識的に眺めているのに、それが私に働きかけてこないのは恐ろしいことです。それが偽者のように見えるのです。実質がなくなってしまうのです(患者G)。】

全国的に緊急事態宣言がでたので 、決断・判断がせまられることになって来ました。

ホームは、利用者さん、職員とも自粛生活に入っていますので、こちらにおられる方が安心ですが、それ以外の方に対してどう対応していくのか?明日、主任会議があります。こちらで入浴させて頂かないと、清潔を維持できない方などがおられるので、難しい判断になりそうです。

 

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 今日も、男子はすろージャムの湯に入りに行かれたようです。自分は休みで、自分の喘息の薬をもらいに行きました。夕方、書類を出す必要があり、現場に入らせて頂いたら、賑やかだったので、ギターを持って参戦(笑)させて頂きました!打楽器は自由で楽しそう!

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 ちょうど、リエさんがお風呂から出てところでした。

 

 

 学業は、まだ実感が湧かずに、取り合えず25日までに、この3冊を読破する予定ですが、あまり日がないですね.....。ここに出ていない1冊は読み終えました。

 売る現場と作る現場とのバランスが大事ですね。売る方が強くなりがちですが、それの方が良いかもです。自分は作る側でしたが、売る側に対して、むかつくことが多かったですが(笑)、作る方が強くなる良すぎると、新しい物が出来にくい感じが、むかつきながらも(笑)していました。素人的な発想は、決して悪いことばかりではなくて、知らないからこそ出来る発想もありますので、馬鹿にしていたら大変な遅れをとってしまうことも少なくありません。それと事務方の力も必要です。

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  下記は、昨夜見せて頂いたニュースですが、少し笑ってしまいました。奥さんがいたんですね!と、生活感を出さなかったバンクシーが、この状況を少し和ませてくれようとしているのかな?とも思えました。


  東畑先生の引用ですが、自分は哲学的になると苦手になります(笑)。そこまで考えなくてもええやん......。ってなってしまいます(笑)。だからラカンは、苦手です(笑)。

 でも、ジョアン・コプチェクが読みたくなったのは、なぜでしょうか?斎藤環先生の『生き延びるためのラカン』をも、読む気になってしまっています(笑)。

 コモンセンスは、常識と考えても良いのでしょうか?常識と考えても良いのなら、超自我ということでもあるように思います。京都にいたときに、お世話になった帯の図案家の先生が、作品を認めてもらおうと思うのなら、普遍性をどこかに入れないといけないと、強く言われたことを思い出しました。入れすぎると面白みがなくなりますが!

 

8 コモンセンスの方へーーカントの無人
 ~一般に絵画や造形は視覚芸術とされて、音楽などは聴覚芸術とされる。

  確かに絵画の美は視覚を用いずには享受されるものでもないし、音楽の美もまた同様である。

 覚器官において感受された像は、コモンセンスを介して生きた実感を与えられ、そこにおいて美が現象される。

  のようなコモンセンスの働きを、W・ブランケンブルク(1971/1978)は機能不全を起こした統合失調症者の語りによって逆説的に示した。

 かを意識的に眺めているのに、それが私に働きかけてこないのは恐ろしいことです。それが偽者のように見えるのです。実質がなくなってしまうのです(患者G)。

 

 

理性の暴力のもとでその自由を失うように思われるとき、構想力は、悟性のすべての拘束から解放されて、理性のとの一致に入っていき、悟性が構想力に隠していたもの、つまりその超越論的起源でもある超越的使命をあらわにするのだ。・・・構想力と理性との一致は、実際不一致のなかで生じる。快は、苦痛のなかで生じるのだ。さらに言えば、すべては、あたかもこれらの二つの能力が互いを豊かにし合って、みずからの発生の原理を見出すかのように生起する。                                        「無人島1953-1968」