院生の方が山梨県出身の方で、ワインの話になったので、ワイナリーで働いていた時の記録用の写真を見て見ました。色々と思うところや思い出すことがあります。
今日は休みだったので、すろーじゃむでゆっくり本を読んだり、ギターを弾いたりしてました。樫村愛子先生の下記の本を読みおえました。6セメスターから始まる予定の産業心理学に使えそうな箇所がてんこ盛り(笑)、でした。ラカンを読まないといけませんね。竹中先生、樫村先生を読ませて頂き、フロイトとラカンに少しだけ近づくことが出来たかな?と、少しだけ(笑)幹事ました。難しいですよね……。
下記は、読みたい本の一つです。まあ、この記事は一つではないので、少しは読んだ気になれそうです(笑)。本もきちんと読みますね。
2.BSJとSJは反転した関係にある
つまり、だれかがキツくて条件の劣悪な仕事をしているとすると、その仕事は世の中の役に立っていることが多く、当人もそう感じていることが多い。まさにBSJとは反対である。
グレーバーはこのようにいっている。
「その労働が他者の助けとなり、他者に便益を提供するものであればあるほど、そしてつくりだされる社会的価値が高ければ高いほど、おそらくそれに与えられる報酬はより少なくなる」。
これは大事な論点だ。
樫村先生の本は2冊読ませて頂きましたが、あまりにも現実を突いているので、アップを忘れてしまっていました!
〜それではフロイトは「草案」において、快とは何かについて具体的にどう考えたのか。まず彼は、「不快を避けるという心的生の傾向」を「一次的な慣性傾向と同一視したくなる」と考える(フロイト「心理学草案」、p.23)。
ここで、慣性という用語が比喩的な意味で用いられているが、慣性とは、外から力が働かない限りは、物体はその運動状態を変えないことである。
例えば、最初に静止していたならば、ずっと静止したままである。とするならば、次のように言えるであろう。不快とは、外界から何らかの刺激興奮が心的装置に働きかけることによって、静止状態がかき乱されるような状態である。そして、そのような動的撹乱状態をできるだけ避けようとするのが、心的装置の「一次的な」傾向、いわば初期条件である。〜