うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

 今日の日中と、良いマーケティングとは、「人が必要としていないものを売りつけること」ではない。「人々の困りごとに解決策を提供すること」である。と、【自閉の子どもだからといって、気まぐれに冷蔵庫をあさったり、いつでもどこでも寝てよいというわけではない。】

 

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 今日は、女子はすろーじゃむで、YouTubeで音楽を楽しまれていました。

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 男子は、勿論、すろーじゃむの湯です!大きなお風呂は、本当に気持ちがいいですね!

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 車の中に落ちていたという、赤ちゃんのおもちゃで、たくちゃんは赤ちゃんになっていました。デカい赤ちゃんですが(笑)。

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 今日は、うたたねの全エアコンの掃除の日でした。全部で12個あるので、半日以上かかっていました。夏に向けきれいになったのは、良かったです!

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 今日も一日、皆さん笑顔で終われたこと、感謝です!


  良いマーケティングとは、「人が必要としていないものを売りつけること」ではない。「人々の困りごとに解決策を提供すること」である。と、下記にありました。4月から、大学院でMBAを習うので、開いてみた記事です。コロナ禍が終息したら、おそらく、経済の形が変わるので、今までの考え方では通じない可能性もあるので、それも含めて、新たなビジネスの形を考えていかないといけませんね。どちらにしても、新しいお金の生み方を考えていかないと、いけませんが。


  昨日の続きです。女性の精神分析家は、分かりやすく、本当に実践的な記述をされる方が多いといつも思います。東畑先生から離れましたね......。

 この子は病院受診ができないからと、諦めておられる親御さんがいますが、心的外傷にならない程度の負荷を少しずつ、少しずつかけさせて頂くことによって、それが可能になっていきますが、自分が自分の子供のことを一番知っていると思われるのか?耳を中々傾けて頂けません。表出の言語がない方でも、きちんとみさせて頂くと、沢山の情報を出されているのが分かるし、こちらの働きかけにも、よくよく見させていただいていると、反応してくれています。例えば、服の着脱に非常に時間がかかり、時間に間に合わない方で、下記の言葉を借りれば、普通の生活に近づけようとするのなら、人に体や衣服を触られるのを、少しずつ拒否反応をなくしていくために、少しずつ衣服や体に触らせて頂くことによって、時間がかかりますが改善できます。

 

►家族の生活の質(QOL
 親との面接では、家での遊びや遊びたい気持ちを確立させることよりも、まず、家庭生活の質を向上させることが、より基本的な課題となることがある。自閉症の子どもや普通とは違う子どもは、養育者に非常に強い保護的な気持ちを引き起こし、家族の中の赤ちゃん的な存在になっていることがしばしば見受けられる。逆に、このような子どもと関係をもつことをほとんど諦めてしまっている親たちもあいる。また、このような子どもにおもねってしまう親もいる。障害をもつ子どもに対して、残酷になったり拒否したりすることを恐れて、親が子どものすべての要求に疑いをもつことなく応えている場合である。このような状態では、子どもと親の心の中に、楽しみや遊び、発達のための時間も、心の中の潜在的なスペースもほとんど残されない。
 親から日常生活の話を聞くと、その子どもが毎日の生活の流れを破壊し尽しているのが明らかになることがある。家族の他のメンバーの要求や好みは考慮に入れられない。多くの場合は、正常な生活の外見を保つことさえ諦めてしまっている。公の場での子どもの行動がとても恥ずかしいので、一緒には出かけない親もいるし、自分たちの責任を回避することになるので、子ども抜きでは出かけない親もいる。子どもを一人で放っておくことができないのである。異常さはガンのように家族の生活を蝕んでいき、子ども自身の発達の潜在能力にとっても、また家族の精神的、身体的健康にとっても有害なものになっていく。暴君的要求に従属することの背後に隠れているものは、天使のようにさえ見える、障害をもった子供に対して、憎しみの感情を抱くなどということをどうして認識することができるだろう?この哀れな子どもの悲劇を前にして、どうしたら厳格な態度で接することができるだろう? 
 親やきょうだい(彼らはその複雑な感情をしばしば適切に報告してくれるが)の中にその子どもが引き起こす感情について探求することが、ときに変化を導くことになりうる。多くの親は、はっきりと限界を設定したり、境界を保ったりすることが、特に子どもの認知的、情緒的成長のために、いかに大切なのかを本当に理解できたとき、それが一貫してできるようになってくる。異常な生活を普通に戻し、子どもに対して希望や期待をもてるよう、援助を受け入れるようになる。子どもの暴君的な気まぐれに抵抗するのは不可能だという家族神話を追い払えるようになると、家族には非常に大きな安らぎがもたらされる。
 自閉の子どもだからといって、気まぐれに冷蔵庫をあさったり、いつでもどこでも寝てよいというわけではない。ベッドからベッドへ移っていき、家族全員を幾晩も夜中じゅう動きまわらせ、眠りを妨げるのを許す必要はない。母親の乳房や髪の毛に、さわりたいときにいつでもさわらせる必要はない。母親のハンドバッグやポケットの中を好き勝手に探ったり、他人の皿のものを食べたりする権利はない。限界が設定されない限り、子どもがどの程度理解しているのかもわからない。また、普通の生活が営めるようになったとき、彼らが他の家族メンバーと同じように、それを気持ちよく感じられるようになるかどうかも判断できない。この種の作業は、しばしばそれ自体が生産的であり、他の領域を探求していく道を開くことになる。 
 このような変化を導入するには時間がかかる。暴君的な行動を前にして、親は受動的になってしまうが、その背後には、この子どもは基本的に何も理解していないという感覚がある。彼らは、この子どもはまるで異星人のように我々と異なっているという信念を再演してしまっているのである。自分たちが育てるはずだった子どもの身代わりに生まれてきた子どもではないかと感じたり、意識的にはいけ入れているが無意識的には恨んだり、ときには憎しみさえ覚えていたりするのである。この子どもは暗黙裡に親自身が嫌悪している側面、ないし内的な親イメージの嫌悪的側面を象徴しているかもしれない。そのような場合には、子どもに対する一貫性のなさが、さらに助長されるだろう。