うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

耳垢水と、微酸性電解水と、【暴君的要求に従属することの背後に隠れているものは、天使のようにさえ見える、障害をもった子供に対して、憎しみの感情を抱くなどということをどうして認識することができるだろう?この哀れな子どもの悲劇を前にして、どうしたら厳格な態度で接することができるだろう?】


 耳垢水なるものを、初めて使用しました。
 ネットで成分を調べてみたら......。

『耳垢水の作り方として、重曹として周知されている炭酸水素ナトリウムとグリセリン、滅菌精製水を混合させて作る方法が一般的です。例えば、耳垢水を100ml作りたい場合の割合は、炭酸水素ナトリウム5g・グリセリン25mlで、耳鼻科などの医療機関での処方では1回あたり10ml程度で処方されます。』

 重曹って掃除に使いますよね......。医師から処方されたものなので、違う成分が入っているのでしょうか?
外耳道がいっぱいになるまで入れて、約10分そのままでいます。
 明日の朝まで使用し、明日の夕方耳鼻科で耳垢の除去をして頂くそうです。
綺麗になれば、良く聞こえるようになるのでしょうか? 明後日聞いてみます。


 先日、すき屋さんに行ったら『微酸性電解水』がありました。
これは効果があるのでしょうか? 少し前から気になって、導入しようか?考えていたので使ってみましたが、嫌な臭いも、ぬるぬる感もなく感覚的には良さそうでした。効果があるかどうか?ですね。
 ウィキペディアで調べてみました(笑)
読んでいると良さそうですね! 看護師さんに聞いてみて考えます!

『微酸性電解水とは塩酸、または塩酸に塩化ナトリウム水溶液を加えて適当な濃度に調整した原液を無隔膜電解槽で電気分解することにより得られる次亜塩素酸を主成分とする水溶液で、希釈したpH5.0 - 6.5、有効塩素濃度は10 - 80ppmを示す殺菌作用が高い電解水である。食品分野では、11950年4月に食品添加物に指定された次亜塩素酸ナトリウムより低い有効塩素濃度で殺菌力を高められるため、より安全性を確保し、コストや環境への負荷を軽減できるという特徴がある。厚生労働省もまた微酸性電解水に対した調査を行い、その安全性を証明し、2002年4月に食品添加物に指定した。微酸性電解水の殺菌成分は分子状次亜塩素酸が98%含有され、高い殺菌力を持つ、分子状次亜塩素酸の割合が多いため、遮光容器では長期保存が可能である。』


 夜勤明けで帰宅し、本を読んでいたら知らぬ間に、うとうと(笑)使い物にならなかったので、ジミヘンのの曲を弾けるようにしてから、斉藤和義の『うたうたいのバラッド』を自分なりにアレンジして弾いてみました(笑)
 ギターを弾いていたら頭が冴えて来たので(笑)少し本を読ませて頂き、事務仕事と思いましたが、そこまでは回復せず(笑)また、ギターを持ったり、ひーひー王子と沢山歩いたり(ここしばらく1万歩あるいています)したらあっという間に寝る時間.....。

 今日読んだ箇所も、考えさせられる箇所でした。
頭や胸がいたくなるような言葉ですが、現場でも、きちんとけじめをつけることが出来る職員が、利用者さんにも、御家族にも必要とされています。
 今まで勉強してきたように、境界が分かりにくい方々なので、境界をはっきりしたほうが、お互いに分かり易く、気分的にも楽になるので、お互いの本心がさらけ出しやすくなると思われます。

『親やきょうだい(彼らはその複雑な感情をしばしば適切に報告してくれるが)の中にその子どもが引き起こす感情について探求することが、ときに変化を導くことになりうる。多くの親は、はっきりと限界を設定したり、境界を保ったりすることが、特に子どもの認知的、情緒的成長のために、いかに大切なのかを本当に理解できたとき、それが一貫してできるようになってくる。異常な生活を普通に戻し、子どもに対して希望や期待をもてるよう、援助を受け入れるようになる。子どもの暴君的な気まぐれに抵抗するのは不可能だという家族神話を追い払えるようになると、家族には非常に大きな安らぎがもたらされる。』

 
 表出の言語がない方でも、支援者の言っていることを理解しておられる方が非常に多くて、それを見ることが(感じることが)できない支援者は、上から支援しているように見えてしまうので、誰が見てもその支援者は、支援が出来ていないなと明確に分かります。

『このような変化を導入するには時間がかかる。暴君的な行動を前にして、親は受動的になってしまうが、その背後には、この子どもは基本的に何も理解していないという感覚がある。』


►家族の生活の質(QOL
 親との面接では、家での遊びや遊びたい気持ちを確立させることよりも、まず、家庭生活の質を向上させることが、より基本的な課題となることがる。自閉症の子どもや普通とは違う子どもは、養育者に非常に強い保護的な気持ちを引き起こし、家族の中の赤ちゃん的な存在になっていることがしばしば見受けられる。逆に、このような子どもと関係をもつことをほとんど諦めてしまっている親たちもあいる。また、このような子どもにおもねってしまう親もいる。障害をもつ子どもに対して、残酷になったり拒否したりすることを恐れて、親が子どものすべての要求に疑いをもつことなく応えている場合である。このような状態では、子どもと親の心の中に、楽しみや遊び、発達のための時間も、心の中の潜在的なスペースもほとんど残されない。
 親から日常生活の話を聞くと、その子どもが毎日の生活の流れを破壊し尽しているのが明らかになることがある。家族の他のメンバーの要求や好みは考慮に入れられない。多くの場合は、正常な生活の外見を保つことさえ諦めてしまっている。公の場での子どもの行動がとても恥ずかしいので、一緒には出かけない親もいるし、自分たちの責任を回避することになるので、子ども抜きでは出かけない親もいる。子どもを一人で放っておくことができないのである。異常さはガンのように家族の生活を蝕んでいき、子ども自身の発達の潜在能力にとっても、また家族の精神的、身体的健康にとっても有害なものになっていく。暴君的要求に従属することの背後に隠れているものは、天使のようにさえ見える、障害をもった子供に対して、憎しみの感情を抱くなどということをどうして認識することができるだろう?この哀れな子どもの悲劇を前にして、どうしたら厳格な態度で接することができるだろう? 
 親やきょうだい(彼らはその複雑な感情をしばしば適切に報告してくれるが)の中にその子どもが引き起こす感情について探求することが、ときに変化を導くことになりうる。多くの親は、はっきりと限界を設定したり、境界を保ったりすることが、特に子どもの認知的、情緒的成長のために、いかに大切なのかを本当に理解できたとき、それが一貫してできるようになってくる。異常な生活を普通に戻し、子どもに対して希望や期待をもてるよう、援助を受け入れるようになる。子どもの暴君的な気まぐれに抵抗するのは不可能だという家族神話を追い払えるようになると、家族には非常に大きな安らぎがもたらされる。
 自閉の子どもだからといって、気まぐれに冷蔵庫をあさったり、いつでもどこでも寝てよいというわけではない。ベッドからベッドへ移っていき、家族全員を幾晩も夜中じゅう動きまわらせ、眠りを妨げるのを許す必要はない。母親の乳房や髪の毛に、さわりたいときにいつでもさわらせる必要はない。母親のハンドバッグやポケットの中を好き勝手に探ったり、他人の皿のものを食べたりする権利はない。限界が設定されない限り、子どもがどの程度理解しているのかもわからない。また、普通の生活が営めるようになったとき、彼らが他の家族メンバーと同じように、それを気持ちよく感じられるようになるかどうかも判断できない。この種の作業は、しばしばそれ自体が生産的であり、他の領域を探求していく道を開くことになる。 
 このような変化を導入するには時間がかかる。暴君的な行動を前にして、親は受動的になってしまうが、その背後には、この子どもは基本的に何も理解していないという感覚がある。彼らは、この子どもはまるで異星人のように我々と異なっているという信念を再演してしまっているのである。自分たちが育てるはずだった子どもの身代わりに生まれてきた子どもではないかと感じたり、意識的にはいけ入れているが無意識的には恨んだり、ときには憎しみさえ覚えていたりするのである。この子どもは暗黙裡に親自身が嫌悪している側面、ないし内的な親イメージの嫌悪的側面を象徴しているかもしれない。そのような場合には、子どもに対する一貫性のなさがさらに助長されるだろう。