うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

選抜高校野球、初の中止 高野連「無観客」から一転と、デヴィッド・ヘイマン: 新型コロナウイルスについて、わかっていること、わからないことと、【人間は存在するが、彼が意味を排除してしまったぶん、心理学的には死んでしまっている。】

 

今日は、高校野球も中止になったし、色々と判断を迫られることになりました。皆さんが政府を批判されているように、ここで自分が下した判断でみなさんが動くと言われても、本当に難しいです。まあ、親分や主任さんが言われるように、直ぐに判断せず、ご家族と話し合いながら、1週間ずつ様子を見て行くのもありなのかも知れませんね。

 色々とあった日なので、一日2回も更新してしまってました......。

 

 久しぶりにTEDを見ていたら、下記がありました。内容が今、並行して読ませている、ヘルマンの臨床人類学の内容のように思えました。これが発表されてから、凄い勢いでアウトブレイクしている現在、どうなっていくのでしょうか?愛知県は、名古屋市にほぼ集中していますが、三河地方にも出ていますし、静岡県在住の方から、浜松に近い市で出たとの情報も入り、戦々恐々としてしまいそうなのを、抑えています。自分のことだけなら、どうなろうと良いのですが。

www.ted.com

 

 

 もう少しオグデンが続きますが、下記は難しい記述ですね。バリントの言う、基底欠損水準的な感じがします。ある面、楽になるのかも知れませんし、でも、一瞬でもこのような状態になれないと、逆に本当に精神をやられてしましそうですね。

 意味の心身症的排除というのも、難しい言葉です。人は生まれた時から、何かしらの精神病にかかっているとは、河合隼雄先生の言葉でした。

 ~的障害の第三の群(「最低水準」の精神病理)は意味の排除にかかわるものである。

 れは「無体験nonexperience」の領域であって、そこでは潜在的な思考と感情potential thoughs and feelingsになる可能性のあるものが、神経症におけるように象徴的な意味を付与されることはなく、精神病におけるようにものそれ自体として体験されることもない。

 の水準の障害の例には、心身症(McDougall,1974)、失感情症(Nemiah,1977;Sifneos,1972)、分裂病的無体験(Bion,1959,1962a;Ogden,1981)が含まれる。人間は存在するが、彼が意味を排除してしまったぶん、心理学的には死んでしまっている。

 神病の患者は少なくとも心理的な病気を生成している(そこでは感情と観念がものとして扱われているが)。それに対してこの群は、体験になったかもしれない緊張が、たとえば身体的な病気の領域に追いやられてしまうような状態(McDougall,1981a参照)へとむかう進展のあらわれである。

 にとめておくべきことは、この三つの水準の精神病理はすべて、個人にも存在し、したがって意味の心身症的排除は神経症、精神病の両方の患者の治療においても考慮すべき特徴であるということである。