うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ひーひー王子と、【分析の成功は、転移状況における精神病の現れについての私たちの理解力しだいで決まる。】


 今日は自分の喘息の受診がありましたが、患者さんが多く、時間がかかり昼からのケース会議にぎりぎり間に合いました。
ショートの突然の変更があり、会議後直ぐに豊橋の事業所まで迎えに行ってきました(笑)。
 毎日、色々あります!お母さんが一日間違えたようですが、運よく一枠空いていたので良かったです。
予定外の受け入れをさせていただいたので、入浴介助をさせていただいてから帰宅しましたら、ひーひー王子が別人になっていました!
 今年2回目の散髪です。毎日暑いので、スッキリしたほうがいいですね!

 受診の待ち時間に本を沢山読みました。
完全にはまだ理解はできませんが、同じような本を繰り返し読んでいたら、何となくその意味が自然と理解できるようになり、現場での出来事に当てはめられるようになってきました。
 精神分析関係の本を読んでいるからと言って、認知行動療法には興味がないということもなく、その方に一番あった方法を提供させていただくと言うのを目指しているので、こっそり(笑)勉強しています。
 以前、ハーバード・ロゼンフェルドの本を読ませて頂きましたが、その本も勉強になったので、そのうち読み返したいと思っていますし、下記では、少し批判的(サリバン自体は、精神分析家と言っていたでしょうか?記憶が曖昧ですw)に書かれていますが、個人的にはサリバン(サリヴァン)も非常に勉強になったので、そちらにもまた行きたいと思っています。

 なんだかんだ言っても、どれだけ利用者さんたちを見ているか、どれだけ上手く接近できているかを、第三者的に見ることができなければ、下記を読んで分かっても、実践はできないと思われます。

 昔の方々は、人をよく見ておられたのでしょう。本当に一つのことがきちんとできる人は、何をしてもきちんとそれなりにできると、言っています。何が言いたいのか(笑)分からなくなってきました.....。
 サリヴァンも同じようなことを言っていましたね!
  


総説
 〜スィーガル、ロゼンフェルド、ビオンは皆、精神病患者の治療で精神分析的方法が実行可能であることに同意しています。ただ、そのことは、ロゼンフェルドがスィーガルやビオンよりずっと詳しく検討しています(Rosenfeld, 1952)。それらの患者たちを理解していくことはきわめて難しかったことを明らかにしてもいるのですが、三者ともが患者での改善を報告しています。彼らは妄想-分裂態勢が精神分裂病の固着点であるというクラインの見解についての感銘深い実証を見出だしましたし、投影同一化、早期の迫害的超自我抑うつ不安の痛々しい苦しみ、妄想-分裂態勢の防衛へと退くことについての彼女の見解に確証を得ました。


スィーガルの『精神分裂病者での抑うつ』(1950)は、分割や投影同一化についてだけでなく、精神分裂病者は抑うつ態勢での苦痛に耐えられず、妄想-分裂態勢での防衛へと退行するとのクラインの観察(M. Klein 1946)についても鋭く臨床描写しています。

ビオンは彼の論文のなかでクラインの見解をさらに展開させました。いかに“正常”であっても、誰でもいくらかの精神病性不安やその不安への病的防衛に病んでいるし、そして、すべての精神病者でいくらかの非-精神病性の機能を持っており、人格のこの部分にこそ分析家が彼の解釈を伝える、と彼は述べています。精神病人格、なかでも、現実を知覚している心その部分の細かな断片化を描いています。人格の非-精神病部分は抑圧を使いますが、その抑圧を成し遂げる人格その部分を精神病部分は放り出そうとします。人格の精神病部分によって成し遂げられる投影同一化は、たくさんの小片への分割である断片化と、ビオンが“奇怪な対象群”と呼ぶものを作り上げるようになる、その小片の投影とを含んでいます。この論文での考えが思索についての分析の発展の舞台を準備したのでした。 精神病患者の分析は1950年代以降、多くのクライン派分析家によって続けられましたが、精神病者の分析可能性や妄想-分裂態勢についてのクラインの叙述との関連にとくに言及した論文はほとんど出版されていません。関心は自己愛患者やボーダーライン患者の分析や心的平衡の保ち方へと移っています。





1,急性精神分裂病者の超自我葛藤の精神分析
ハーバード・ロゼンフェルド

この論文は、1952年の国際精神分析誌33:111-31で初めて発表された。
 この10年間に、私は、たくさんの急性および慢性の精神分裂病患者を分析して、ますます、精神分裂病における超自我の重要性に気づくようになった。


ハリー・スタック・サリバン、フロム・ライヒマン、フェダーン、ウェクスラ〜、アイスラー、およびローゼンなどのアメリカのほとんど、精神分裂病精神分析家は、そのアプローチデネカひどく変えているので、もはやそれを精神分析と呼ぶことはできない。彼らは皆、精神分析的アプローチが急性の精神病に有用であると考えるのはくだらないということで意見が一致している。彼らは皆、再教育と元気づけは絶対に必要だと認めている。


多くの英国に精神分析家たち、幼児期発達の早期段階の関するメラニー・クラインの研究に刺激されて、精神分析分析の本質的な特徴を保った方法による急性および慢性の精神分裂病の治療に成功を修めてきた。このような意味での精神分析とは、元気づけや教育手段を用いることのない陽性転移および陰性転移の解釈と、患者によってもたらされる無意識素材の認識と解釈からなる方法として定義できる。児童分析家の経験が、ここで私たちが急性精神分裂病への精神分析的アプローチをもっと詳細に定義するのに役立つだろう。それは、急性精神病者の分析で出会う技法上の問題は、子どもの分析で遭遇する問題に似かよっているからである。2歳9カ月以降の子どもたちの分析を検討する際に、メラニー・クラインは、分析の初めからハーバード・ロゼンフェルド転移神経症が発展するということに気づいた。彼女は、助言や贈り物のような分析的でない方法とかさまざまなやり方での元気づけによって陽性転移を作り出そうとする試みはすべて分析に非常に有害である、と考える。彼女は、子どもを分析する際には、大人の分析にある修正を加える必要がある、ということに気づいた。子どもには、カウチに横になることは期待できないし、彼らの言葉ばかりではなく遊びも分析の素材として用いられる。子どもの両親と分析家との共同作業が望まれる。なぜならば、子どもは親によってセッションに連れてこられなければならないし、両親は幼児期の生育歴を補い、実際の出来事を分析家に知らせ続けるからである。しかしながら、メラニー・クラインが描いたような子どもの分析では、精神分析の基本的な特徴は完全に保持されている。 これらの全ての経験を、精神病者、特に急性の精神分裂病患者の分析の指針となる原則を記述するために用いることができる。もし私たちが、直接の元気づけや愛情の表現によって陽性転移を作り出そうとする試みを回避し、ただ陽性転移および陰性転移を解釈していくなら、精神病の現れは転移にくっつくことになり、神経症者に転移神経症が発展するのと全く同じように、精神病者の分析では、“転移精神病”とでも言えるようなものが発展する。分析の成功は、転移状況における精神病の現れについての私たちの理解力しだいで決まる。