うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

木枯らし1号と、『精神病に特有な機制を求めたフロイト』(フロイトを読むより)

 今日、近畿地方で、木枯らし1号が吹いたとニュースでやっていましたが、この辺りはまだでしょうか?例年よりも4日遅いとの事です。
一気に寒くなりそうですね......。



 ギターの1弦が、二台とも切れてしまったので、テレキャスターだけ、1弦を張り替えました。11月に入ったら全部張り替えようと思っています。
335は、11月3日までに全部張り替えます。おんぼろギターばかりで、いつどれが故障してもおかしくないので、人前で弾くときは音が出なくなるのでは?と緊張します。
 そのためにメンテナンスしているのですが......。

 結局、アニーボールの緑色のパッケージに戻しました。外野の太いゲージの方がチューニングが云々だとか、セミアコフルアコは太い弦が基本だとか(笑)とりあえず、購入時に張ってあるゲージがそのギターに一番合っているゲージだと初心に帰りることにしました。(335はナットも交換しないといけないはめに!)
ブライアンセッツァーもこのゲージだとか?それもがせねたか(笑)ピックはミディアム位だそうですが.....。ミディアムの方が、ピックが削れないので、弦を痛めなくてよいのかな?とも思い、約30年間使っているヘビーのピック(素材を変えればいいかも!)も今回は真剣に(笑)変えようかと、シェクターのピック(5年前くらいに買ったものw)で今日は弾いてみましたら、調子が良かったです。


 ボブディランが.......。ですね(笑)


 夜勤明け、タイヤ交換でスタンドにいて、フロイトを読むを携帯に打ち込んでいたら、約一時間半くらいまっていました。親分の姪っこさんが働いているので、オイル交換や車を綺麗にしてくれていて助かりました。
 沢山打ち込んだので、半分だけアップさせてください。

フロイトクレペリンとの関係も分かりました。 



『レオナルド・ダ・ビンチの幼年期の想い出』
フロイト以後
「鳶」の代わりの「ハゲワシ」:翻訳間違いの結果
翻訳の一つの間違いは、フロイトの諸仮説全体を無効にするだろう
1923年、ある雑誌記者が初めて、レオナルド・ダ・ビンチの幼年期の想い出の翻訳に間違いがあり、そのためにフロイトは「鳶」の代わりに「ハゲワシ」について語ることになったことに注意を促した。〜

〜私は、フロイトが1919年に加えた注解を注意して読んで、問題が公になった1923年より以前にフロイト自身が、ハゲワシに関することでないかもしれないという考えを検討していたことを発見して驚かされた。1910年、ハヴロック・エリスはこの点に関して批判を表明しているが、フロイトは数年後に次のような言葉で応じた。「その大きな鳥が必ずしもハゲワシとは限らなかったであろう」(1910c:82注2、岩波11:31)。同じ注解の中でフロイトは、レオナルドの想い出の性質自体を検討している。それは実際の記憶に残された痕跡なのだろうか。このジレンマに直面してフロイトは、現実の出来事の想い出よりも空想の方が優位であるという立場を堅持する。レオナルドの幼年期の想い出を巡る論争の後、今日、空想の役割は現実の出来事の想い出と比べて、後者もまた絶え間なく事後的な変更に晒されている限りで、特別な地位を与えられている。



「自伝的に叙述されたパラノイア(妄想的痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」(1911c)
神経症に続く精神病の研究
〜控訴院議長シュレーバーの研究は、フロイトの精神病に関する主な理論的・臨床的報告おいて、彼が精神病に特有の機制を発見するために数十年にわたって行った試みを、手短に検討しよう。フロイトシュレーバーにおいて、精神病的構造に関するさまざまな心的機制を描出したが、精神病患者は転移を作り出さないので分析不能であると考えている。この観点は今日、そのような患者たちの分析を発展させたクライン派とボスト・クライン派精神分析者たちを筆頭として、もはや共有されていない。




幼児期の発達の自己愛の段階
フロイトは、パラノイアを特徴づけるのは、父コンプレックスに結びついた同性愛的欲望空想ではないと指摘する。なぜならこのコンプレックスは、健常な人間と同様に神経症者にも潜在的に、調子がよい時期のシュレーバーと同い年やはり見出だされるからである。この症例でパラノイア的なのは、フロイトによれば、患者が同性愛的欲望空想を無意識にとどめておくことができず、その空想に対して防衛するために迫害妄想によって反応したところである。
熟孝を続けてフロイトは、同性愛が自体愛と対象愛の中間の、自己愛の段階と呼ばれる、幼児の性的発達の一段階に位置づけられるという仮説も表明する。「この一段階はナルシシズムと名づけられているが[…]発達してゆく個体は、ひとつの愛情対象を獲得するために、その自体性愛的に活動する性欲動を統一してゆくが、他の人間という対象選択へと移りゆくまえに、まず自分を、自己の身体を愛情対象とする」(同60-61,岩波11:162)。結果として、フロイトによれば、異性愛的対象選択が正常な発達過程で達成される時、同性愛的追求は完全に消失するわけではない。それは「依托」(同62,岩波11:163)によって、同性の人たちとの友情や仲間意識の基盤となる。
それに対して病理的な例では、幼児期の発達の自己愛の段階は一部の人で「固着点」あるいは「退行点」(同62,岩波11:163)を形成し、彼らのパーソナリティーの「脆弱な箇所」が出来上がる可能性もある。それは迫害不安を引き起こし、彼らをパラノイアに感作しやすくするのである。



フロイトの概念の継時的発展

精神病に特有な機制を求めたフロイト

シュレーバー症例の研究はフロイトにおいて、精神病に特有な機制を発見しようとする、一貫した探求の線上に位置づけられる。概して彼は、妄想の形態を体系的に分類できるようにする記述的な基準を決めることよりも、その基底にどのような機制があるのかを明確にすることのほうに関心があるのでこの複雑な区別の細部には立ち入らないが、パラノイアの概念を、フロイトがその発展のさまざまな時期に使用しているままに位置づける必要がある。




フロイトは「パラノイア性妄想」によって何を言おうとしているか

19世紀末、ドイツ精神医学は「パラノイア」という用語の下に、さまざまな妄想を一括していた。フロイトは初期の諸論文で、この用語を広い意味で使っている。後にエミール・クレぺリンEmil Kraepelinは、さまざまな形の妄想の中に、痴呆に至る早発性痴呆と、精神的荒廃のないパラノイアの体系的妄想特有基本的区別を導入した。早発性痴呆についていうと、この概念は、この疾患における「解体」(分裂Spaltung)の中心的役割を明らかにしたオイゲン・ブロイラーの研究の結果、「統合失調症」の概念にとって代わられた。パラノイアといえば、フロイトはこの名称の下に、被害妄想ばかりでなく色情妄想・嫉妬妄想・誇大妄想を含めた。1911年以降、彼はクレぺリンによる早発性痴呆(統合失調症)とパラノイアの間の、区別を守り続けた。しかしクレぺリンの立場はその弟子であるブロイラーと違い、後者はこの区別を受け入れず、解体は統合失調症にもパラノイアにも認められると考えた。最後に、フロイトシュレーバーパラノイアの研究で、こうした諸形態の精神病理の間には、数多くの組み合わせが存在することを認めた。