うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、ワイナリー時代の写真と、【喪失感、罪悪感、悲しみ、悔恨、同情、共感、孤独は、ひとが抑うつポジションにおいて歴史的な人間存在になろうとするなら、避けることのできない重荷なのである。】

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 今日は、男子はすろーじゃむの湯に行き、ゆっくり浸かって体を温め、きれいに洗って清潔にしました。水分補給もしっかりしました!

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 女子はドライブに行ったり、職員のタブレットでラジオ体操をしたりされた様子。

自分は男子組でした。

 ギターを弾いたり、お風呂に入ったり、ご飯を食べたりしていたら、あっという間に晩御飯の時間になりました。本当に一日って短いですね!

 

 相模原に、ワイナリー時代の写真を持っていきましたが、使うことなく戻ってきたので、見たいかな?と思う職員さんに下記の写真を見て頂いたら、見てみたいと言ってくれたので、今朝持っていきましたが、忙しくて中々見れませんね。時間があれば、見てくださいね。沢山ありますが(笑)。その時期に、立花隆さんの本を読んでいて、やったことのないブドウの栽培方法を書かれていて、ワイン用のブドウの栽培歴が長い友人に見てもらったら、理にかなっているとのことでした。その本かほかの本かは忘れて仕舞いましたが、大学の教授も、文献から引用している方が多いので、専門家になるには、その分野の学術書をたくさん読めば、そこそこいける(笑)って書いておられました。

 そういえば、アートも音楽も心理学も、現場と学習で培ったものですね(笑)。

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 下記は、オグデンです。深い言葉ですね。

抑うつポジションを越えたところに」何があるのかという問いは、この章で展開した視点から見ると、誤解にもとづいた問いである。』は、結局、そこに居続けるのが難しいし、居続けるということは逆に、それ以上発達しないということでしょうか?また、退行してワークスルーして、抑うつポジションに戻り、また繰り返して、段々大人的になっていくからでしょうか?

 

 『喪失感、罪悪感、悲しみ、悔恨、同情、共感、孤独は、ひとが抑うつポジションにおいて歴史的な人間存在になろうとするなら、避けることのできない重荷なのである。』は、現場で真摯に仕事に向かい合っておられる方々には、本当に深い言葉だと思われます。

 

 『ひとは益かあろうとなかろうと、抑うつポジションから退行的に逃げだして妄想-分裂ポジションという亡命地や牢獄にはいったり、躁的防衛を使用する結果になったりしない限り、そこにとどまるのである。』も、現場に真摯に向き合っておられる方々の心を釘付けしてしまうのではないでしょうか?

 福岡伸一先生が言われるように、変わらないために、変わり続けないといけないのです。1度ワークスルーできたと思っても、先日のようにまだまだ必要だったということのほうが多いかもしれませんね.......。時には無力さを感じながら、時には利用者さんに励まされながら、生かされている意味を追い続ける毎日です。

要約
 うつポジションを越えたところに」何があるのかという問いは、この章で展開した視点から見ると、誤解にもとづいた問いである。

 うつポジションの「抑うつ」は、別の発達段階に達するために克服され徹底操作されるようなものではない。

 失感、罪悪感、悲しみ、悔恨、同情、共感、孤独は、ひとが抑うつポジションにおいて歴史的な人間存在になろうとするなら、避けることのできない重荷なのである。

 とが得るものは、主体的な人間らしさと自由に選択しうる可能性である。これは解決するようなジレンマではない。

 ひとは益かあろうとなかろうと、抑うつポジションから退行的に逃げだして妄想-分裂ポジションという亡命地や牢獄にはいったり、躁的防衛を使用する結果になったりしない限り、そこにとどまるのである。