うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ギターのチューニングと、西田幾多郎と、【 むしろ、実際の体験は、知覚した言葉の音を組織化するためのもって生まれた一連の機能のひき金になるのである。】

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  ギターのチューニングは、真剣にやらないと(笑)、当たり前ですが、ハイポジションでは全く使い物になりませんね。まるで月に行くロケット(例えが昭和w)の軌道を考えるように、解放弦で少しでも上がり気味であっていたとしたら、12フレットでは、それより2~3セント上がっていますし、下がり目で合わせた場合も逆のパターンで下がっています。自分は解放弦と12フレットで折り合いをつけるようにしていますが、めんどくさい時に解放弦だけで合したら、結局、ハイポジションで気持ち悪くなるので、いつも後悔しています......。まあ、解放弦だけで合しても、細心の注意を払って合わせれば、ハイポジションでも、自分の耳では許容範囲の時もありますが。

 

 昨日、帰宅してネットサーフィンしていたら、下記が出ていました。

木村敏先生の本を読んでいて、西田哲学について調べてみたいと、図書館で何冊か借りたこともありましたが、理解できたかどうかは、怪しいです(笑)。

 下記は非常に分かり易いですね。河合隼雄先生のこのような本が、大阪で時間が経っていたのに、本屋さんで置かれていたのも、理解出来る気がしました。

 

 

 

  サリヴァンを読み始めた時には、精神分析の本もあまり読んでいなかったので、本当のありがたみや意味が理解できていなかったんだなと、最近つくづく思います。

 下記はオグデンからの引用ですが、またまたサリヴァンを思い出しましたし、もうすぐ読み終える予定のクライマンには、精神分析理論が間違った解釈で広まって、それが臨床の場で患者さんを診る時に邪魔をしていると言うような記述がありましたが、なんでも中途半端はいけませんね。

 自閉症の方々の支援も、絵や写真を使うと言うのがあり、自分もノースカロナイナまで行かせて頂きましたが、根本は人間として認めることだと思います。佐々木正美先生も、それを使う前にキチンと心理学の勉強をまずはするべきだ!とも言われていました。重度の自閉症の方でも、特に絵や写真を使わずとも、うたたねではきちんと支援ができています。誰かが言っていましたね、絵カードや写真を使うと、初心者はその効果にびっくりして、中級者は自分の実力が上がったと勘違いするって.....。鋭い指摘ですね。中々人前では言えませんが、その方は言っておられ、佐々木正美先生は、その方らしいとも、仰っていました。勿論すべてを否定する気は毛頭ありません。その方の特性で、それが必要な時もあるし、支援者の経験や実力が不足している場合にもそれに頼らざる得ない時もあります。でも、本当に大切なのは、その方と同じ空間で、生きた時間を過ごすと言う事です、それがなければ、何を道具に使おうが対症療法だけで終わってしまいます。

 体験を知覚した言葉の音の組織化にするには、生きた時間を一緒に過ごさせて頂くしかないと思っています。そうやって下記を読み返してみると、クラインマンもサリヴァンもクラインも結局は、同じことを言っているようにも思えて来ます。

 

  ~クラインにとっては、家族によって、文化によって、時代によってかなり異なる現実の体験は、データを供給するものである。そのデータは本能に内在するコードによって高度に決定づけられて組織化される。

 言語の深部構造にたとえるなら、広い範囲の音素的データ(実際に話されている言語の音)は十分な「刺激」を供給し、それによって乳児は言語の音単位を、特定の言語の統語論的構造をかたちづくるシステムへと、知覚し組織化するのである。

  話し言葉にさらされることを含めて、養育する人物との相互作用は不可欠である、がしかし、文法を構築する方法についての特異的な情報の源として、不可欠なわけではない。

  むしろ、実際の体験は、知覚した言葉の音を組織化するためのもって生まれた一連の機能のひき金になるのである。