うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

帰納的標本展と、掛川のカフェ・ロードさんと、【逆説的ではあるが、適切な分割の達成は、部分対象と部分自己とが全体対象と連続した自己感覚とに最終的に統合されるための、不可欠の土台である。】

 

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 フライヤーなどが出来たらアップさせて頂こうと思っていましたが、11月から周知してくれる予定が(笑)、まだ、印刷に回ったところとのこと.........。まあ、無名の人間がやるので、これくらいの仕打ちは(笑)仕方がないですね(笑)。展示場所も、博物館のロビー?ホワイエ?エントランス?故郷でなかったら自分を抑えられていたかは、自信がありませんが。

そう言えば、横尾忠則さんも故郷で、役所の方が遅刻して、怒って帰ったことがありましたね。横尾忠則さんと一緒にしたらダメですが……。

 今回は、故郷にある西教寺さんの浅井さまの紹介で、こちらで展示できることになりました。自分のアイディンティティを探しに、去年は何度か故郷を訪れて、アイディンティティというのは、外にあるのではなくて、自分の中にあると言うのが分かっただけでも自分にとっては収穫です。ワークショップの提案もあり、準備もさせて頂きましたが、上記の通りでしたので、周囲から本当にするのか?とか(笑)疑われ、嘘つき呼ばわりされ(笑)、協力も得られなくなったので、ワークショップは辞退させて頂く事にしました。まずは故郷でどんな形でもやらせて頂き、創作活動を再開、というか、新しい自分のスタートとしたいと思っています。次に展示させて頂きたいところもあり、松の内が終わったら動き出そうと思っています。本当にアートを理解していない人間が、アート展など企画するのがおかしいし、それこそ愛知トリエンナーレみたいに偏った展示が幅をきかせることになっていると思われます。本当のアーティストは、時代の先を見つめているのです。自分はまだまだですが、帰納的標本は、大きな震災の直前に制作しています。何かを感じる事ができる能力、それを表現するセンス(敢て技術とは書きません)が、アーティストを支え、創作の原動力になるのだと思います。自分の場合は怒りもその中に入ります。

 

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 年末年始も、読書とギターは粘り強く(笑)続けています。一度離れたら、軟弱なので元に戻れないので(笑)、やりつづけるのみですね!『転移と逆転移』は難しくて、久々に調べまくって(笑)、時間がかかっています。

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 今日も本当は仕事でしたが、周囲が年末年始入れたら12連勤になってしまうと、配慮してくれたので、自宅で給与計算をしようと思っていましたが、親分がカフェ・ロードさんに電話して、作品の材料の話をしたからと、急遽、掛川まで走りました。

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 暖かい三が日出したが、足元に七輪があり、心まで温かくなりました。

久しぶりにぜんざいを頂き、ご主人と沢山話も出来、欲しい物も伝えて、出物があれば連絡してくれるとのことでした。

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 こちらの三輪車も段々良くなっていきますね!自分の作品と同じ匂いがするので、まめに来たいですが、ちょっと遠いですね.....。これで何回目でしょうか?

 倉庫の方にもご主人と一緒に行かせて頂き、捨てられないんだよな~と言われていたので、強く同意してしまいました(笑)。自分にも宝の山に見えました!


 下記の、互いに自由になって初めて ~の件は、現場では一番大事なことではないでしょうか?日ごろ見てもいないのに、急に来て色々言う方々(笑)は、医者のいう事しか聴かないとか(笑)、わけのわからない事を言いますが(笑)、日々見させて頂いている人間以上にその方を知っている人間がどこにいるのか?現場の人間の地位向上が出来るように、今年も頑張るつもりです!こっちは命を預かってんだぞ!と、その方々にはいつも言いたいのを我慢しています(笑)。時々爆発しますが(笑)。

 

統合の早期段階
 逆説的ではあるが、適切な分割の達成は、部分対象と部分自己とが全体対象と連続した自己感覚とに最終的に統合されるための、不可欠の土台である。

 なぜなら、愛に満ちた体験が憎しみに満ちた体験に汚染されたり汚染されそうになったりする不安、またはその逆の感情など、ひとが相互に自由になってはじめて、これら体験の異なった面をたがいにより近い関係のなかにあえて持ち込もうとするからである。