初散歩と、皆さん二回目の初詣と、【逆転移について科学的研究がなされていないこと自体が、とりもなおさず分析医と被分析者の関係に“社会的不平等”が存在していることを表しているのであり、そのことがまた、“社会の再編成social reform”の必要性を指摘しているともいえる。】
見事な晴天の中、初散歩に出る事ができ嬉しかったです!
椿や山茶花が満開でもあり、きれかったです。その中、ほぼジョギングで一時間過ごしました!
お昼からは、初詣に行きたいと言われる方があり(皆さん一回は言っていましたがw)、伊良湖神社と、
泉福寺さんの白山神社に行き、願い事を書いてきました。汚い字はおっちゃんです.....。
一応渥美半島東海七福神の一つです。あと6か所制覇すれば良かったですね!
オグデンから少し浮気して(笑)、ラッカーを今回はアップさせて頂きました。
現場でも、共依存状態になってしまっていることが多く、この方は自分しか見る事ができない的な発言をされているのを耳にしたら、そうだと思っても過言ではないと思われます。現場では自分の存在よりも、利用者さんの支援を優先すべきことは誰しも知っていることですが、ついついそうなりがちです。時間がかかってしまっている本ですが、全ページの全行にアンダーラインを引いてしまいそうな感じで、読み進んでいます。それはきっと、自分にまだまだ知識が足りていない証左だと反省しつつ読ませて頂いています。いつまでたっても初学者ですね.......。まずは自己否定から始めると言うのが自分のスタンスですので、そのままそのスタンスでやり続けて行きたいと思ってもいます。
うまく支援が出来ないのは、ただただ自分に実力がないからだと、毎日言い聞かせています。今年も学び続けます!
時代が進み、今では臨床人類学なるものが、それを支えてくれている気もしています。
『転移と逆転移』H・ラッカー
坂口信貴訳
第6章 逆転移の意味とその活用法
原注6)〜逆転移について科学的研究がなされていないこと自体が、とりもなおさず分析医と被分析者の関係に“社会的不平等”が存在していることを表しているのであり、そのことがまた、“社会の再編成social reform”の必要性を指摘しているともいえる。
しかし、この社会の再編成ということは逆転移をより広く認識することではじめて可能になる。
たとえば、分析医が被分析者に対して神経症的な支配願望(このような願望分析医の一部分では実際に生じているものである)を抱きながら、これを抑圧し続けている限り、被分析者をその神経症的な依存性から解放することはできない。
また、分析医が自分の被分析者に対する神経症的な依存性(現実に分析医はある程度患者に依存している)を抱きながらこれを抑圧している限り、分析医を神経症的に支配しようとする欲求から被分析者を解放してあげることができない。〜