うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ボーリング大会?と『治療者の失敗と患者の生活史』(患者から学ぶ)


 昨日は、ホームの方と、ショートの方で、ボーリングに行きました!

 静かな始まりでしたが


 段々と、盛り上がってきました!

 序盤は、ゆうちゃんリードでしたが

 ユウスケ君が優勝しました!



 お昼はお寿司が1名、ラーメンが3名で、民主的に(笑)ラーメンを食べに行き、帰りました。


 中抜けの時間に図書館に行き、『アイディンティティと暴力』『ジミ・ヘンドリックスかく語りけり』『The Blues Gutar』を借りて来て、全てななめ読みしようと思いましたが、夜勤まで微妙に時間があったので、『患者から学ぶ』と『アイディンティティと暴力』を読ませて頂きました。
まずは、『患者から学ぶ』からのアップです。『アイディンティティと暴力』も凄く良い本です。ななめ読みと思いましたが、じっくり読ませて頂きます。ジミヘンやギターの本は疲れた時に読ませて頂きます(笑)
治療者の失敗と患者の生活史の箇所も、大変勉強になり(頑張って読んで頂きたい)ますし、自分の支援を振り返させてくれます。


治療者の失敗と患者の生活史
例4・6
ある女性治療者がある患者を週3回の精神療法でみていました。その患者(私はGさん[独身女性-訳者]と呼びますが)は、癌のための入院による繰り返された母親の不在、そして、(4歳?ときの)母親の死によって、子どものとき外傷を受けていました。
その治療の始まりから、たびたびGさんはセッションにこなかったのですが、その治療者のはこの要求がましい患者にしっかりと手をかけていました。それに、セッションの始まりでの彼女の沈黙は、治療者から話し始めるよう長い間に渡って巨大な圧迫を加えられてきました。
治療のこの時期には、これらの沈黙の間、もしくは、説明のないままの欠席の間に、治療者自身がどんなことを考え、感じているかに治療者は細かに耳を傾けました。彼女が患者に何が起こっているのかを知らないままにしておかれていること、そして、(あるときには)もう一度Gさんに会えるだろうかとさえ思ったことに彼女は気づきました。
ある期間を経て、治療者は、患者が彼女に、捨てられた感じと不確かさを感じさせようとしており、それは、おそらくですGさんが、彼女の母親が説明もなく病院に入院して不在だった間や母親の最終的な死ののちに感じていたこととよく似たそれではないかと思うようになりました。これは、患者の欠席そして/もしくは沈黙によって引き起こされた治療者への強力な影響力に治療者が反応している、インパクトによるコミュニケーションのもうひとつの例です。
このようなやり方で患者が彼女に感じさせていたことに耳を傾けていくことで、治療者はGさんに、母親に何が起こっていたのか、そして、そののちに彼女が二度と母親を見なくなったときに何が起こったのかを知らないというこの状態にいつも彼女は置かれていた。そのときに、彼女にとっていかに耐え難いものであったかを治療者が気づいていることを解釈できました。患者にとってはこのことがきちんと意味をもっていることをGさんは徐々に認識できてきました。そのことによって、セッションの始まりをほとんど沈黙せずに済ませられるようにも助けられました。それでも、もっと深い絶望のときには、いまでは苦悩の兆候として治療者から理解されるであろうことを知りつつ、彼女は再び遅れること(とか欠席)に頼ってしまうのでした。

コメント:言葉を超えたものでありましたが、それが治療者に与えてきたインパクトゆえに、聞かれ、理解された感情を、Gさんがどのようにコミュニケートできたかをここに私たちは知ることができます。治療者は投影同一化の力動についての知識をうまく利用しましたし、患者は最悪の絶望のときでさえも治療に留まったのでした。患者が来るにしろ、来ないにしろ、セッションのために彼女(治療者)がきちんとそこにいるだろうことがGさんになんと重要なことであるかも治療者は理解しましたです規則性、継続した一貫性は、治療者によって彼女の患者のために注意深く保たれました。

ある朝、治療者は寝過ごしてしまいました。患者は早朝のセッションのために治療者のコンサルティング・ルームにやってきましたが、締め出されてしまったのです。掃除人がやってくるまで、彼女は閉じられた扉の外にじっとしていました。彼女のセッションの残った時間の間、この掃除人が彼女のめんどうをみてくれたのでした。その人は「ここにいないなんて彼女にはほとんどありそうもないこと」として、治療者の不在に、とりわけ、気を配ってくれました。必然的に、Gさんはなにか実際にとても大変なことが起こったに違いないと感じました。おそらく、事故があったのだろう。おそらく、彼女の治療者は病院の中だろう。たぶん、死んでしまったのだろう。

検討:患者の分離体験と彼女の不在の母親を必要としていることの増大とは、彼女の心の中では深く結びつくようになっていました。それで、母親の死後、Gさんは、彼女が母親を強烈に求めすぎたことこそが母親を去らせ、ついには、死んでしまうことまで引き起こしたのだろうと信じ始めました。いまや、治療それ自体のなかで、この同じ経過が劇的に繰り返されていくようになってきまし、それは明らかに彼女の空想をあらわに表出していました。彼女の依存性やニードこそが、彼女が依存している人物の不在、おそらく、病気になったり、死んでしまったことを「引き起こした」のであろうとの空想です。
気味が悪いほどに、患者自身の小児期の外傷体験ととてもよく似た治療での現実の失敗をこの治療者が無意識に再生産してしまっていました。それでは、私たちがとても注意深くそうしないようにしているときでさえも、私たちが患者をときにとり落としてしまうのはどんなことなのでしょう?このことが生じると、それは治療関係全体を脅かします。そして、また、患者がこのような現実の出来事に直面させられるとき、それについては患者が目の前の治療者に
ほんとうに腹を立ててもよいことなのですが、それは同時に、その治療での重要な中枢的な体験となります。
治療のなかでの早朝外傷の再創造は、どんなものでも、部分的には個人的な逆転移と役割-対応性との相互作用から生じてくるものでしょう。しかし、ウィニコットはこの無意識の相互交流のさらに深い次元について語っています。

「修正が加わった供給では決して事足りはしない。私たちの患者のうちのある人たちがよくなるに事足りるものは何だろうか?結局のところ、患者は治療者の失敗を使うし、それは、しばしば、とても些細なそれであるし、おそらく、患者によって巧みに操り出されたものである……そして、私たちは、ある限られたみちすじのなかで誤解されることに耐えねばならない。そこに働いている要素は、そもそも幼児の万能支配領域の外側にある環境要因として起こってきていたのだが、今では転移のなかで演じられるその次元について患者が分析家をいま憎んでいるとのことである。そうしたことで、結局は、失敗することfailing the patient 's way―によって私たちは成功する。このことは、修正体験による治癒という単純な理論とは随分かけ離れている」(Winncott 1965b:258)。

のちに、この論文のなかで彼自身の患者との関連でウィニコットは付け加えています。「彼女が彼女の生活史によって定められたやり方で私に失敗させることができるそののちの時期まで、治療においての小児の世話や幼児の世話という局面で私は決して失敗してはならない」(Winncott 1965b:258-59)。
Gさんは「彼女の生活史によって定められたやり方で」治療者が彼女をとり落としてしまうのを無意識に促していたのでしょう。そうしたことで、(彼女の母親との間にずっと存在していたよい抱っこ関係の形式の名残りとともに)、彼女が治療関係のなかできめ細かく、そして、途切れることなく抱かれていたときに、この治療者は彼女の患者にとってほんとうの次元へと巻き込まれ始めていたのでした。この失敗の性質は、患者にとっては彼女自身の小児期の外傷と恐ろしいほど似ていました。それゆえ、彼女は、治療者とのあいだでの現在において、そもそもの外傷に属していた、完全な破壊をもたらすほどの彼女自身の怒りを体験しました。
この体験のなかで、その患者は、彼女を「とり落としていまい」、そこにいないことで説明もなしに彼女を締め出してしまった母親を著す?になる彼女の治療者を使用するほんとうの機会を見出だすことができました。彼女はいまや、早期の(そして、このいまの)失敗についての彼女自身のもっとも強い感情でもって治療者を攻撃し始めることができましたし、治療者は、彼女へのこれらのものすごい怒りの攻撃を生き延びたのでした。

論文、「対象の使用と同一化を通して関係することUse of Object Relating through Identification」でウィニコットは、この生き残ることsurvival についての手がかりが、分析家(もしくは精神療法家)が患者の空想とか投影によって「創られて」いない剛さを持っているのを患者が発見することのなかに見いだされるべきであることを強調しました(Winncott 1971:第6章)。Gさんは、あの不在に対してのとてつもなく強烈な彼女の感情に治療者をさらさせ、治療者が終局的には、報復も虚脱もすることなく、生き残ったことを通して、母親の不在への彼女自身の怒りこそが母親の死の原因であったと思っていたという彼女の無意識の空想を変えていくことがやっとでき始めたのでした。