うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

瑞宝双光章と、【成功した投影同一化において、母親-乳児はひとりひとりよりも大きな実体であり、ひとりひとりでは生成できなかったような、存在の性質を生成できる。】

 

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  設立当初から、労務関係の書類作成や、相談を無償でやって下さっている方が。この度、 瑞宝双光章をお受けになりました。こんな方に無償で大事な部分をやって頂いているので、嬉しさもありますが、もっともっと気を引き締めて事業をやって行かないといけないと、気が引き締まりました。今後とも宜しくお願い致します。

 

 自分が貢献できるのは、現場での支援なので、それに関してはこれからも自分が出来る限りのことは、真剣にやって行こうと思っています。

 

 下記はまだオグデンですが、自分が学習してきた物を、もっと深く記述してくれています。

TEDでも心理学者が、遊びの大事さを力説していました。重度の方ほど、接近する手段としての遊びは、本当に欠かせないなと、現場にいて本当にそう思います。下記にウィニコットが出て来ていたので、余計に思いました。

 母親ー乳児の関係を、取り敢えず作って、安心・安全感をお互いに感じてからが、スタートラインだといつも思っています。ラカン大文字の他者と言う言葉に対しても、利用者ー支援者の関係は、中文字の他者であるべきだと思っています。近すぎ過ぎても雨だし、離れすぎてもダメですね。成功した投影同一化をどうやって作って行くかも、自分たちの仕事のように思っています。

 

  ~私が思うには、ドナルド・ウィニコットの一次的母親的没頭(1956)、錯覚の段階(1951)、可能性空間(1971)についての仕事は、投影同一化の概念の発展として理解することができる

 ここでいう投影同一化とは、同時にひとりでもありふたりでもあること(母親と乳児の合一と分離)という形をとっている。

 それは、個別的な心理状態の体験への寄与の合計よりももっと生成的な形式をとる体験を生み出す潜在性を、かわるがわる創造するのである。

 

 ~投影同一化のなかで、ある性質の体験の潜在的可能性が母親-乳児という実体によって創造される。

 ラカン(1956b)は母親と乳児(患者と分析家)によって創造される新しい心理的な実体を、「大文字の他者the Other」として言及した。

 成功した投影同一化において、母親-乳児はひとりひとりよりも大きな実体であり、ひとりひとりでは生成できなかったような、存在の性質を生成できる。