うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ブレネー・ブラウン: 傷つく心の力と、【投影同一化は単に、母親(投影同一化の対象)が乳児(投影する側)のために体験を「代謝」し、それを乳児が利用できる形で乳児に返すことではない。】


 夜勤明け、ダラダラした状況の中で(笑)、久しぶりにTED を見させて頂いたら、新しいものではありませんが、気になった物がいくつかあったので、アップさせて頂きます。まずは、ブレネー・ブラウン: 傷つく心の力です。

 精神分析を信じていなそうな(笑)、場面もありましたが、向いている方向は、同じように思いました。

 恥と言う言葉が何度も出て来ますが、 ジョン・シュタイナー の、見ることと見られること - 「こころの退避」から「恥」の精神分析 を思い出しました。

 こんなに強そうな方でも1年間悩み続けることがあるのか?と思いました(笑)。

難しいことを、面白おかしく伝えられるのは、本当に悩みに悩んで、それなりの答えが出せたからではないでしょうか?

 

 

 下記は、オグデンですが、個人的に今までの考え方を、バッサリ切られた感じがした一節です。

 何度も読み返した箇所でもあり、乳児の知覚の体験のしかたが変わらなければ、たとえ乳児の投影が母親によって変化され、母親の共感的な世話によって乳児に利用可能になったとしても、乳児はその予期を変化することはできないであろう。は、本当にそうだと、現場で思いました。知覚の体験の仕方を変える事も、自分たちの仕事だと思います。それは、人間関係の作り方であったり、環境であったり、色々変化しないといけない事をその方々に一番合う様にさせて頂く事が出来れば、新しい関係性が生まれて行くのでしょうね!

 

  投影同一化は単に、母親(投影同一化の対象)が乳児(投影する側)のために体験を「代謝」し、それを乳児が利用できる形で乳児に返すことではない。

  一般的に、投影同一化という概念はそのように受け取られてきた。しかし、この理解には足りないところがある。そこには、その過程をとおして乳児の受け取りかたが変化する、という含意がない。

  乳児の知覚の体験のしかたが変わらなければ、たとえ乳児の投影が母親によって変化され、母親の共感的な世話によって乳児に利用可能になったとしても、乳児はその予期を変化することはできないであろう。

  私が思うには、投影同一化における母親の役割についての「代謝」や「処理」の概念とは質的に異なったある種の心理的活動が、乳児が内的世界の閉鎖系から最初に動き出すことに関与している。