うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

尾道駅前の景色と、“シルバーデモクラシー”に挑戦する若者たちと、「失政のツケを国民に払わせるな!」世界中の都市で“ブチ切れる市民”が急増している理由と、【「子どもの最早期の現実は、まるごと幻想的出会いである(Klein,1930,p.238)。」】

 

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 写真は、先日行かせて頂いた、尾道の駅前から見た景色です。自分の日常ではないので、感動がありますが、日常だと慣れてしまって感動がなくなるのでしょうか?これだけで、立派な絵でもあり、映画のひと場面のように感じました。

 


 下記は、二つとも、少し前のニュースですが、対角線上にあるような、同一線上にあるような........。 若者にだけ、責任を押し付けているとの不満が、世界中でデモが起きている原因でしょうか?

 結局、新しいお金の生み方が見つからなくて、困っているだけではないでしょうか?確かに高度成長期にある時は、景気も良いし、目の前にある仕事さえしていれば、それなりの所得・利益が生まれていましたが、システムが新しくなればなるほど、現実的な仕事はなくなるし、物もあっという間に大量生産できてしまうので、世界の隅々まで直ぐに行きわたり、余程魅力がない限りは、新しい物の購入は、所得が減ったならなおさら買い控えが出るし、本当に若い方々には大変な時代になりましたね。仕事を選ばなかったらなら、現在は無いことはありませんが、皆さん選ばれますね。まだ日本は余裕があるのでしょうか? ウィニコットは、直ぐに、簡単に主導権を子どもに譲るな!と述べていました。それも理解はできます。右と左に偏るのは、おかしくなるもとのように、年齢が若いから良いとも、それなりに年齢を重ねているから悪いとかでもなく、若くてもしっかりしておられる方がいるように、年齢を重ねていても、常に新しいことを取り入れている方もいます。大事なのはバランスと、本当に他者の痛みに対して耳を、目を向ける事ができることではないでしょうか?皆さんが嫌がる仕事でも、それを完全にマスターして、システムが理解できると、経営者にもなれますし、経営者になって、自分と同じ様な苦労をしておられる方々を引き上げる事もできます。芸術作品も、目で見る方は少なく、耳で見る方ばかりですよね?自分の目をしっかり開いて、本当に大事な事だけを見るようにしていれば、そんなことも可能になるのではないでしょうか?他者のせいにするのは一番してはいけないことでではないのか?と自分にいつも言い聞かせています。政治家も、自分の保身の為にだけ、他の政治家の足を引っ張るだけでなく、本当に国民に必要な物、ことを作って行くのが一番しなければいけないことではないでしょうか?

 

 

 オグデンを続けます。

 下記は、知的に障がいがある方にも当てはまる場合があります。

体験から学ぶことができないなら、学べるようにするにはどうすればいいのか?

見当違いの事を書いている様で、そうでもないような気もしますが、まずは安心・安全感を得られるようにすることが大事だと思われます。それから徐々に同じ生きた時間を過ごして、自分を出しても安心・安全だと経験してから、その経験を積み重ねることができれば、その積み重ねが本当の体験となって、学びに結びつきます。直ぐに出来る方もおられますが、時間が必要な方もいます。

 

環境の役割
 ~自分の予期の囚われびとである乳児は、体験から学ぶことができない。

 というのは、新しい体験はこれらの予期という見地でのみ解釈されるからである。

   同じような状況は、すべての新しい関係を危険への予期という見地で体験する、重度に妄想的な成人患者においても存在する。

   強度に妄想的な患者にほんとうに親切にしてやっても、患者からは傷つきやすい状態にある患者をあやつろうとする不誠実さによるものだと見られてしまう。

  同じように、心気的な患者は、すべての身体的な感覚を内的な危険についての妄想的な感覚に一致して体験する。

 正常な身体所見にも検査所見にも少しも安心しないのは、こうしたデータが自己充足的な妄想体系にしたがって、意味を付与されたり否認されたりするからである。
 要約すれば、クラインにとっては最初に乳児が現実を創り出すのである。「子どもの最早期の現実は、まるごと幻想的出会いである(Klein,1930,p.238)。」