マカロンと、もうクリスマス?と、【乳児の思考、感情、知覚は、クライン派の後継者たちによって、「ものそれ自体」は、単に生起するにすぎないできごと、として考えられている。】
親分がお歳暮に持って行くのを忘れ、賞味期限が切れたマカロンが冷蔵庫にありましたが、作った方(副理事長さんですが)に聞いたらまだ食べる事が出来るとの事で、職員で分けました。自分が2つ先に食べてみた結果(笑)、全然大丈夫でしたので、皆さん安心して食べておられました。見た目にも綺麗でした!
昨日は夜勤でしたが、まりちゃんが、クリスマスを待てずに(笑)、本格的な衣装を買って来ていて、たくちゃんが着ていました。
たくちゃんは似合いすぎ!いのうえっちは、日本人離れした感覚で、
りえちゃんだけでなく、皆さん爆笑でした!
本当のクリスマスには、飽きていないでしょうか?ちょっと心配しています。
しばらくは、オグデンに戻ります。現在の『転移と逆転移』も、凄く勉強になりますが、この辺を読んでいなかったら、自分的には吸収できていなかったように感じています。ラッカーは本の題の『転移と逆転移』に集中しているので、それに関しての奥深さは待ったく違います。
下記に述べられていることを、上手く表出できない方々に適応していると、表出が出来るようになってきます。それには、しつこいですが、机の上の勉強と現場での実践が欠かせません。どちらもないことには、余程の感性が無ければ無理ではないでしょうか?だから、芸術家は教育分析を受けなくても良いと言われるのかも知れませんね。それも、本当の意味での芸術家でしょうが。焦らずに少しずつやれることが出来れば大丈夫です。長い期間信用して預けて頂けるのは、ご家族のご理解があってのことだと思っています。
少しずつまとめていければ必ず成功します。魔法はありませんので、ただ現場と机の往復あるのみです。
早期の幻想活動における主観性の程度と象徴化の様式
~乳児の思考、感情、知覚は、クライン派の後継者たちによって、「ものそれ自体」は、単に生起するにすぎないできごと、として考えられている。
乳児は、ものを見る立場や視点をもつ自分自身を体験していない。
体験を思考し解釈する者としての乳児などいない。
たしかに外側からみると、乳児は、たとえば妄想的にあるいは愛情に満ちて知覚を解釈している。
しかしながら、発達の最早期(妄想-分裂ポジション)において、乳児には体験の解釈者としての自分についての意識はない。
存在している自己は対象としての自己であり、主体としての自己ではない(この存在のありかたについては、3章で詳しく論じよう)。~