うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

枕が........と、【二人の間で情動気分とその状態が共有できるようになるのは、二者関係外の物に関する精神状態の共有が、間主観的かかわり合いの初期にとってとても重要であることは明らかのようです。】

 
またまた、時間が過ぎてしまって(笑)、アップが遅れました....。
昨日は夜勤明けで、夜勤時23時の巡回で、枕が.......。
 りょうちゃんは、にこにこでしたが.......。


 昨日、夜勤明けに本を読んでから帰宅し、色々していたら、眠るのも忘れて、あっという間に夜になっていました。
賃金台帳などやらないといけないことが山積しているので、今日は休みなので、自宅で頑張ります。




 支援に慣れていなかったり、きちんと向き合っていない方は、下記の意味が分かりづらいかもしれませんね......。
現在読ませて頂いている本が丁度、転移・逆転移・エナクトメントに触れている箇所で、言葉や行動化の、本当の意味を汲みとれているのか?逆転移で患者さんを追い込んでいないか?患者さんに自分が操作されていないか?を見つめ直して、本当の解釈を組み立てていくという箇所です。そんな思考が出来るのにはまず、投影同一化について考える必要があるし、下記の様な基本的なことをきちんと学習していないといけないような気がします。
 老子曰く、真剣に道を説いても誰も振り向かない。笑われて初めて説いたことになる。
アカデミックに説明すると、皆さん警戒します(笑)。しかし、当たり前のことを当たり前に言っても、そんなこと分かっていると言われますが、本当に分かっているのでしょうか?色んな現場を見ましたが、納得できません(笑)。しかし、その仕事にどれだけ情熱を傾ける事ができるかどうかの問題でもありますね......。
  『二人の間で情動気分とその状態が共有できるようになるのは、二者関係外の物に関する精神状態の共有が、間主観的かかわり合いの初期にとってとても重要であることは明らかのようです。』



 

 間主観性は、生まれて初めて現れる、最も普遍的で、重要な、主観的体験共有の直接的な形式と言えるかもしれません。精神分析家のみならず、Demos(1980,1982a)、ThmanとAcebo(1983)、Tronick(1979)などの研究者は、情動こそ、人生早期におけるコミュニケーションの基本的媒体、かつ基本的主題であると提唱しています。これは私たちの観察とも一致しています。そして生後9〜12ヵ月、乳児は対象に対する行為と意図を共有したり前言語的方法で思いを交換し始めますが、その場合も情動交換こそ母親との交流の主たる形式であり、本質となりません。情動状態の共有を、この年代の乳児のとらえ方として私たちが特に強調するのは、こうした理由があるからです。ところが、意図と対象に関する原言語的交換は、ほとんどの場合、情動交換と同時に起こります(初めて赤ちゃんが“バァーア”と言い、ボールを指差すと、まわりの人びとは喜びと興奮をもって反応します)。この2つの交換はどんどん進行するため、赤ちゃん特定の出来事を基本的に言語的であるとみるか、情動的であるとみるかは、それを判断する人の見方で決まります。とはいえ、推理できることはどんなことか今ちょうど分かりかけつつある乳児は、情動交換の領域の方にはるかに長けているように見えます。同様の文脈で、TrevarthanとHubley(1978)は、二人の間で情動気分とその状態が共有できるようになるのは、二者関係外の物に関する精神状態の共有が、間主観的かかわり合いの初期にとってとても重要であることは明らかのようです。






 ここで心に留めておかなければならないのは、発達のこの時点では、乳児は未だ言葉が話せないことです。ですから、乳児が共有できる主観的体験といっても、それは、言葉への翻訳のいらない種類のものでなければなりません。対人世界と大きなかかわりはもつけれど、言葉のいらない精神状態とは何かと考え心に浮かぶのは、次の3つです。合同注意joint attentionの共有、意図の共有、そして情動状態の共有。では、そうした共有ができること、あるいはそれを察知できることを示す乳児の行動とはどんなものでしょうか。