うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

『おてらおやつクラブ』と、まあちゃんの詩と、【この乳児は、成長して精神科にかかることになった成人患者と、乳児体験に関する理論をもつ治療者という二人の人間による強度創造物です。】

 色々あって、自分だけハードな勤務が11月に入って続いていましたが、やっと明日休めます(笑)。自分の受診がありますが....。
そういえばインフルエンザの予防接種も午前中にたくちゃんと行ったのに、自転車で走り回ってしまいました(笑)。中学生の時に、インフルエンザの予防接種をした日に、レコードを買いに、堺東のレコード屋さんに行こうと、バス停にいたら、同級生が自転車で堺東に行くと言うので、それなら自分は走って行く!と言ったのは良かったのですが(笑)、その日の夜に吐き気が酷くなり、体調を崩して2日学校を休んだことがあり、その日買ったレコードを聴くと、吐き気がしてしまうのが、数年続いたことがありましたが、今日は大丈夫そうです(笑)。


 先程、戻ってメールチェックしていたら、ジャパン・デザイン・ネットさんのメールを開いたら、興味がある記事やニュースがあり、一番気になったのが下記でした。
 こども食堂をしたいな!と漠然と考えていて、何も実行できていない自分を恥ずかしく感じました。


グッドデザイン賞, 日本デザイン振興会,建築,プロダクトデザイン,ファッション,ライフスタイル
 2018/11/1 22:39


公益財団法人日本デザイン振興会の主催事業である、「2018年度グッドデザイン賞」の「大賞」「金賞」「グッドフォーカス賞」の受賞結果が発表され、2018年を象徴するデザインである「グッドデザイン大賞」は、『おてらおやつクラブ』に決定した。
「グッドデザイン大賞」は、その年のすべてのグッドデザイン賞受賞対象の中で、社会性、時代性、提案性などの面でもっとも優れているとされるデザインが選ばれる。今回大賞に選ばれた『おてらおやつクラブ』は、大賞候補であるファイナリスト6件の中から、本年度グッドデザイン賞審査委員とグッドデザイン賞受賞者、受賞展「GOOD DESIGN EXHIBITION 2018」の来場者による投票が実施され、最多票数を得た。
『おてらおやつクラブ』は、お寺にお供えされるさまざまな「おそなえ」を、仏さまからの「おさがり」として頂戴し、子どもをサポートする支援団体の協力の下、経済的に困難な状況にある家庭へ「おすそわけ」する活動。活動趣旨に賛同する全国のお寺と、子どもやひとり親家庭などを支援する各地域の団体をつなげ、お菓子や果物などの食品や日用品を届けている。日本国内において子どもの7人に1人が貧困状態にあり、一日一食の食事に困る子どもたちが増えている。その一方でお寺にはたくさんの食べ物がお供えされている。全国のお寺の「ある」と社会の「ない」をつなげることで、貧困問題の解消に寄与することを目的にした活動だ。

また、「2018年度グッドデザイン賞受賞展」が東京ミッドタウンで11月4日まで開催中。今年は「みつけて、とれたて、グッドデザイン」をテーマに、2018年度のグッドデザイン賞を受賞した1,353件すべてを展示紹介。特別賞・ベスト100の特別展示や、受賞数上位企業オリジナルのブース出展、トークイベントを行うほか、ポップアップストアも出店される。










 今日は、早番と遅番の中抜け勤務でしたが、皆さんの協力を得て何とか乗り切れました。ありがとうございました!
帰ろうと、皆さんの居室を回って、室温などの調整をしていたら、まあちゃんが沢山話しかけてくれ、詩もみせてくれました。
 下記ですが、中々素敵ですね!詩を書いてくれる方を探しているので、書いて欲しいなと思いました。曲はいつでも作れるのですが、詩が本当に書けなくなって久しいです......。




 本は、いつ読んだのでしょうか?忘れましたが、少し読みました。



 下記は、その当時は、画期的な論文だったのでしょうか?古典的なアプローチとは違う(と思いながらも同じような感じがしている自分がいますが.......)ような感じがしました。しかし、何回も読み返すと、帰納的なのか?演繹的なのか?の違いなのか?とも思えてきて、余計に訳が分からなくなってきました(笑)。もう少し読んでから自分の中で整理しないといけませんね.........。
  『臨床乳児は被観察乳児に主観的生活の息吹きを吹き込み、一方、被観察乳児は臨床乳児の主観的生活を推論、構築する際の基礎となる一般理論を導いてくれます。』

 

 下記を読んでいると、タヴストックはの乳幼児観察の大切さを再確認しました。
 『乳児の観察者は最近になって、乳児がいつ、どうやって、他者および自分自身を見、聞き、交流し、感じ、理解するかを考え始めるようになりました。』








第2章 乳児へのアプローチと展望
被観察乳児と臨床乳児
 発達心理学で観察される乳児に対し、臨床場面(主に成人)ではそれとは異なった“乳児”が精神分析理論によって再構成されてきました。この乳児は、成長して精神科にかかることになった成人患者と、乳児体験に関する理論をもつ治療者という二人の人間による強度創造物です。この再創造された乳児は、患者の記憶、転移を通しての再現、そして理論的に導かれた解釈から成っています。私はこの創造物を、行動を起こしたまさにその時点で吟味を受ける被観察乳児observed infantとは区別して、臨床乳児clinical infantと呼びます。 乳児の自己感の発達について考えてゆく際、この2つのアプローチのどちらも欠かせません。臨床乳児は被観察乳児に主観的生活の息吹きを吹き込み、一方、被観察乳児は臨床乳児の主観的生活を推論、構築する際の基礎となる一般理論を導いてくれます。 十数年前までは、このような協同作業ができるなどとは考えも及びませんでした。というのは、それまでの被観察乳児は主として社交socialとは関係ない出会い、つまり、お座りやにぎにぎ、対象を認識したり考えたりする能力の出現といった身体的指標だけが興味の中心だったからです。それに対し臨床乳児では、主観的体験としての社会という世界social worldが常に関心の的でした。これら2つの乳児が別々の問題に携わっている限り、両者はおのおの独自の道を歩み続けます。そしてこれまで両者は何の問題もなく共存できた代わり、協同作業がなされる可能性もほとんどありませんでした。 しかし、もうそうではありません。乳児の観察者は最近になって、乳児がいつ、どうやって、他者および自分自身を見、聞き、交流し、感じ、理解するかを考え始めるようになりました。こうして、自己感を含む乳児の日常社会体験を扱うようになったという意味において、被観察乳児は臨床乳児と同一線上に並んだのです。かくして、両者の比較、そして協同作業が可能となりました。