うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ちっちゃいまーちゃん、大きいたくちゃんを止める(笑)、【分析において自然に展開してくる理想化転移は、理想化された親のイマーゴの発達過程における、ある特定する時点と関連しているのが普通である。】


 ブログのアップの時間が何かおかしくなってきました(笑)。
先程、早番に入って、(本当は今日から3連休でしたが、台風で予定が変わってしまいました.....)いたら、まあちゃんが、たくちゃんに部屋に入られるのを嫌がって、阻止していました(はんぶん遊びでw)。たくちゃんも、かわいい女子に止められると、まんざらでもない様子で、それ以上は行きませんでした。
 朝から微笑ましい光景を見せて頂き、昨夜、激情し、心についてしまった傷が少し癒されました。




 読書とギターは、毎日なるべくやっています。柔軟と一緒で、毎日やらないと、効果がありません。現場にいると、今ここで起こっている事は、あの本のあそこに書いてあったことなので、ああいう風に対処すればいいのでは?それで上手くいかなければ、あそこにも書いてあったっけとか、あそこに書いてあったことを、この方に合う様にするには、こうしたほうが良いのでは?などと、考える時の軸になってくれています。絶対にフロイトでなければ、クラインでなければ、ウィニコットでなければ、サリヴァンでなければ、コフートでなければ、ではなく、その方でなければと考えた方が、良い結果が生まれます。
 そういう面では、コフートは実践的ですね。



 〜Kohutは、病原的要因を考える場合、1つの要因ではなく、その組み合わせを考えるべきであると主張します。

 「ある特定の外傷の影響は、外傷を受ける準備状態の存在も考慮に入れてはじめて理解できるのが普通である。また、外傷への感受性は、先天的な構造的脆弱さと、特定の病原的外傷に先行する体験との相互交流で決まる」(p.52)。

 しかし他方でKohutは、病理の原点に関し、かなり限局的です。

  「分析において自然に展開してくる理想化転移は、理想化された親のイマーゴの発達過程における、ある特定する時点と関連しているのが普通である」(p.53)。 ただし、息子に父親に対する失望等、理想化されました親のイマーゴが、発達段階の比較的遅い時期(たとえば5〜6歳)のものである場合、それに先行して、母親の共感不全、病気、死亡などに起因する場合もあります(p.53)。また、『発生的に類似した体験のtelescoping(望遠鏡の筒のように縮めること)』により、病原的な体験の上に、それほど重要でない類似の記憶が重ねられることもある。抵抗と理解されやすいこの現象をKohutは、「心の統合力の現れ」(p.53)であると考えます。
  「それは必ずしも、防衛のためである(つまり、それ以前の記憶の相起を防ぐためになされる)と理解されるべきではない。むしろそれは、二次的過程や言葉によるコミュニケーションにもっと近い、類似の心的内容を媒体として、早期の外傷を表出しようとする試みであるのが普通である」(p.53)。
 この重ねられた類似の記憶が、言語化できる最古のものであり、したがって、分析的にさかのぼれる実質上の終点である場合があることを認め、Kohutは言います。
 精神分析理論家は、自分たちがずぼらになることを許せない。ある特定の病原的外傷が実際に起きた時期を決めようとせずにはいられないのである」(p.54)。