やっと半分(笑)と、今日の日中と、【クライン派の理論では、本能とは、「前概念」をその「現実化」へと連結する(Bion,1962b)ために実際の体験を利用するような、生物学的に決定された組織であると考えられている。】
今日も早めに出て、ファミマで臨床人類学がやっと半分読めました。個人的に新しい言葉が沢山出て来るので、調べまくって時間がかかっています。知識のなさを本当に恥じています.......。でも、勉強になっています。
お昼は、7名ではま寿司さんに行きました。自分のテーブルはゆっくり食べられる方ばかりでしたが、女性職員さんの方のテーブルは.......。
明日からダイエットするとか(笑)、足らないので、大村の蔵寿司に行くとか(笑)の、話が出ていたとのことでした........。
午後からは、ゆっくり組さんでお薄を頂きに行って来ました!
朝夕は冷えますが、日中は暖かかったですね!
下記は、オグデンに戻りましたが、またまた難解な箇所ですね。
サリヴァンが、その人がやったことが無い、考えたことが無いことをやるには相当時間がかかると言っていたのを(本の中で)思い出しました。当たり前と言えば、そうなのかもしれませんが、思考と言うのは、その当たり前のことを、どの角度から見るのか?というのが大事な事なのかもしれませんね。本能というのは、人類の歴史の中で、過去の中で培われたものと考えれば、理解しやすいのかも知れませんね。突き詰めればDNAレベルの話に、またまたなってしまうのでしょうか?
~「母親と愛情に満ちた関係をもつ子どもも、母親によって貪られ、ひき裂かれ、破壊される恐れを無意識に抱いている(Klein,1963b,p.277)。」
クライン派の理論では、本能とは、「前概念」をその「現実化」へと連結する(Bion,1962b)ために実際の体験を利用するような、生物学的に決定された組織であると考えられている。
たとえば、危険という前概念は現実と局面に連結されて、危険として体験されることができる。
前概念は観念ではなく、観念の潜在的可能性である。現実と前概念との連結においてのみ、概念(思考)が生成される。