うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

竹内敏晴先生と甲野善紀先生と、【臨床精神分析のおもな目標は、個人内部の(intrapersonal)および対人的な(intrerpersonal)対話から隔離された、すなわち自己疎外されたパーソナルな体験の漸新的再獲得である。】

 下記のオグデンを読み返していたら、竹内先生の、自由とは奴隷から生まれた言葉だ!を、なぜか思い出しました。以前親分が見ていたDVDの甲野先生との対談の長い(笑)ユーチュブがありましたので、貼り付けて置きました。

 

 今日は遅番で、離れた街への受診の付き添いなどもあるので、その前にアップさせて頂きます。

 

 

 アップは、オグデンに入りました。冒頭からオグデンのすごみが出ていて、読み始めは、圧倒されっぱなしでしたが、段々慣れて来て、十分には理解は出来てはいませんが、臆することなく読み終えた記憶があります。シュタイナーも、オグデンも、一番著名な本は、古本で高価になってしまっているので、それに近そうな、原価で売っている本を選択するしかなくなっています......。

 

 今、現場で問題視している、エディプスをきちんと通過していない方たちの支援方法。エディプスを越えていないと言うのも、疎外されたものに入るのかも知れませんね。その疎外されたものを取り戻す作業がやはり必要なんだと思いました。

 

『こころのマトリックス対象関係論との対話
T・H・オグデン著
狩野 力八郎監訳
藤山 直樹訳

1.精神分析的会話
 ~歴史と過去とは違う。それは、過去が単にできごとの集積であるのに対し、歴史は過去に対する私たちの意識的無意識的記憶を反映した創造物であり、過去に対する私たちのパーソナルなそして集合的な描写であり、歪曲であり、解釈であるからである。

 私たちに先立つ、そしてある意味では現在における私たちを創造した対話の歴史から、自分自身を隔離してしまうと、私たちは、自分が創造している象徴、観念、感情、芸術、仕事を通して自分自身を十分に認識し理解するということが困難になる。

 対話の一部から自分自身を隔離するとそれだけ、私たちはいきいきとしていられなくなる。それは、そのぶんだけ、私たちが自分自身として(すなわち自己内省的に)存在できなくなるからである。

 臨床精神分析のおもな目標は、個人内部の(intrapersonal)および対人的な(intrerpersonal)対話から隔離された、すなわち自己疎外されたパーソナルな体験の漸新的再獲得である。そうすることは、被分析者が、自分は誰で自分はこれから誰になろうとしているのかを、より十分に認識し理解することを可能にする過程である。

 疎外されたものを取り戻すうちに、被分析者は主体的で歴史的な人間存在としてより豊かに生き始める。彼は、より豊かな(より自己疎外されてない)個人内部のおよび対人的な対話を営むことができるようになる。彼は自分自身からかつて隔離していたものを恐れなくなり、そのぶんだけより自由になる。