うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の散歩と、シャワーと、【それは、精神医学的な疾患も、明らかな精神病理もない、身体的な妄想のケースである。】

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今日も、蔵王山の展望台に行きましたが、お客さんが多くて、滝頭に変更して沢山歩きました。半分はジョギング状態なので、アップダウンもあり、結構運動した感がありました。

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 午後からは、白谷に行きました。ガラホではきれいに写せませんが、波が美しかったです!

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毎日、入浴時に自律神経が出て来るであろう箇所にシャワーをあてていたら、今日はたくちゃんが自分であてておられました!気持ち良かったのですね!やり続けていて良かったです。

 

 

 今日も早めに出て、ファミマで本を読んでいたら、臨床人類学でちょっと気になっている方の様な感じが出ていたので(利用者さんではありませんが)、アップささせて頂きました。副題にあるように、文化によって同じ病気や障害でも出方が違うと言うのは、納得できました。その文化も一つの国の中でも地方によって、また、狭義で考えると、家庭の中でも違うし、本当にアセスメントの大事さを痛感しました。主に身体化に対しして象徴的に現れるのでしょうか?

 

 

臨床人類学
文化のなかの病者と治療者
アーサー・クラインマン
第五章病気体験と病気行動の文化的構成(2)
第二節症例と考察

  〜中国人にみられる身体化のうち、私の出くわしたもっとも極端なものは、臨床的にめずらしいものなので論じる価値があるだろう。

 それは、精神医学的な疾患も、明らかな精神病理もない、身体的な妄想のケースである。

  たとえば、私は台北で別々の機会に男子学生二人と面接したが。二人とも最初は頭痛と視覚の不調を訴え、両方とも脳の障害が原因だと考えていた。内科・神経科の精査を受けたが器質的な病理所見はなかった。

 しかし、二人はこの検査結果を認めようとしなかった。脳がたしかに障害されていると信じていたのである。そこで、二人は精神科での精査を受けたが、そこでも重大な精神病理は認められなかった。

 しかし、これといった所見はないものの、“身体的妄想”があるからというのがおもな理由で二人とも“初期の分裂病”と診断された。

 二人の家族には精神疾患の既往はなかったし、大学では満足のいく成績をあげていた。
 どちらのケースにおいても、信念と知覚が混じり合っているために、患者は歪んだ(妄想的な)知覚を報告している。〜

 


 〜精神医学からすれば、患者は自分の知覚を固く信じていて、反証があるのを知ってもゆるがないし、知覚自体が体系的なので、これは自閉的というよりまさしく妄想的なものである。

 つまり、“現実の体系的な誤知覚”という妄想の定義に合致している。まちがった説明モデルをもった場合とはちがって、この種の説明は確固としてゆるぎないものだった。 

  変更を加えることはできなかったし、それについて患者と論じ合うこともできなかった、しかし、二人は精神分裂病にかかっていたわけではない。何か月か観察をしたが、ほかに思考障害は認められなかったし、ほかの妄想・幻覚もなく、おおむね適切なふるまいをし、てきぱきと行動していた。異常なのは、唯一、身体的な妄想だけだった。

 どちらのケースにも、躁鬱病や内因性鬱病はなかったが、双方とも強い情動変調を経験しており、何度も面接を重ねた末にかろうじてそれを認めた。


 〜しかし、いずれのケースにおいても、この身体にかかかわる妄想は、不安という受け入れがたい感情を、自他の目に触れないように隠してしまうことによって克服する、最終的な手段として機能していると考えられる。