うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ミルクセーキと、あまおうのチーカマと、【自閉的障壁の性質】(自閉症と小児精神病より)


今朝、ホームは帰宅された方もいましたが、ショートは満室で、楽な夜勤ではありませんでしたが、皆さんとミルクセーキを作ってみました(笑)砂糖を入れず、100%のオレンジジュースの糖分だけだったので、甘くはありませんでしたが、懐かしい味で皆さんほっこりされていました。

 昨夜のメニューに、あまおうのチーカマが出ていたのですが、皆さん気づかずに食べていたので、調理してくれた職員が、イチゴの味しない?って皆さんに聞いてましたが、皆さん”?”って感じでした(笑)
 確かにそういわれれば、イチゴの味がしていました。



 今日の日中は、アプレシオに行ったようです。
重度の方もおられましたが、外出に慣れてこられて、きちんと食事ができるようになっています。

 本はやっと第7章を読み終え(笑)まだまだアップしたい個所がありましたが、先に進んでみました。





第8章 治療の基盤としての分類
●――自閉的障壁の性質
 第一の明白な事実は、現実の障壁は存在しないということである。「障壁」は、私たちがこれまで見てきたように、精神病の子どもの最も顕著な特徴である。病的な自閉状態を具象化した形で表現する方法のようである。ラター(Rutter,1966)が精神病の子どもと統制群としての非精神病的な子どもとを比較したモーズレイ病院での調査研究の論文の中で述べていることは、異常のことと同じことを別の水準で語っているように思われる。すなわち、彼は「おそらく、精神病群と統制群の間の最も著しい違いは、精神病の子どもがとりわけ聴覚刺激に対して注意をそらすことができないことであった。これはさらに、精神病における主要な異常性とは、刺激を知覚することの欠損か異常性であろう、ということを示唆する」と述べている。
 本書において自閉状態は、感覚優位の状態であり、近くが原初的であるか、制限されているかきわめて異常である状態であると定義されてきた。その正常な側面においては、それは原始的な錯覚の状態である。その病理的な側面においては、妄想が現実の知覚の邪魔をし、逆に妄想が現実によって修正されず強化されるという悪循環が発展していく。異常な一次的自閉状態(A.P.A)では、自閉状態は、感覚の「欠乏」と刺激の欠落によって引き起こされる「知覚の欠損または異常性」の直接の結果であるように見える。しかし、カプセル化二次的自閉状態(E.S.A)と退行二次的自閉状態(R.S.A)では、自閉状態は、注意を払わないことの結果であるか、異常な方向に注意を払うことの結果であるようだ。これは、最終結果は同じなのであるが、知覚における欠陥とはまったく同じものではない。
 養育、そして養育を受け入れてそれを利用する力は、健常な子どもが一般に共有された現実についての実用的な枠組みを構築する手段であり、それによって子どもは外界の資源を用いることや外界にいる人々とのつながりをもつことができるようになるように思われる。養育を排除する自閉状態の悪循環は、そこに「障壁」があるような感覚を生起させる。E.S.Aの子どもは、ほとんど内的世界をもたない不変の自閉的な状態に見えるものの中に閉じ込められている。限定されたタイプの想像力が身体的な過程についてのものを中心として働いているが、しかしこれは、通常の言葉の意味で用いる空想ではない。クラインの用語である無意識的空想は、私が生来的なかたちとして述べてきたものと関連する萌芽状態の基本的けていを表すものとしては、悪くはない。これらが集まって形づくられたものが、ユングの定式における元型を構成するように思われる。
 これまで見てきたように、臨床素材が示唆しているのは、乳児は自分と母親が、体の中身がくっついて連続している(a continuum of body stuff)という錯覚を最初にもつということである。パニックや怒りの発作は、身体の中身が破壊的に爆発的な方法で終末(端 end)に至るものとして体験されている、ということを意味する。デービッドのような素材が示すのは、母親とつながっていないことを塗りつぶして消し去る試み、つまり身体の中身を用いて糊塗して抹消する試みは、刺激に対して貫通不能の障壁という妄想を結果的に導く、ということである。これまで見てきたように、これは、外的な対象を抹消するまでになりうる。精神分析は、この状況を記述するために否定幻覚(negative hallucination)という用語を作った。日常的な言葉で言い直せば、この外界の否定は、執拗に維持される陰(umbrage 怒り)であり、それは破滅的な心の動揺を引き起こしてきた「自分でないもの(not-me)」への極度の嫌悪から生じているように思われる。子どもは、ひきこもり閉じていく。これは、子どもと他者の間に障壁があるという感覚を導く。
 子どもが障壁に気づいていないということと、それは観察者の構成したものであるということが、これまで示唆されてきた(Anthony,1958)。私の体験では、デービッドの素材が実証しているように、子どもは障壁に気づいている。デービッドは、自給自足を目的とする自分の自閉的な活動によって、現実の人々やものに対して自分が現実の人として反応するための能力が阻害されていろことに気づいていることを示したことが何度もあった。このことは、そのような病的妄想システム全体を、身体的な流れが破局的に破綻したという感覚への反応であるとみれば、理解しうるものである。すなわち、それは、過酷であまりに鋭利なかたちで現実に直面させられたとき、驚愕させられるような突然の分離性を体験したという感覚に対する反応なのである。
 この点が、正常な自閉状態と病的な自閉状態が異なる点である。乳児期の正常な自閉過程は、流れ出ること(flowing-over),と包み込まれていること(envelopment)という性質の中に存するように思われる。そしてそれは母親と一体になること(at-one-ness)につながっている。病的な過度の自閉的反応状態においては、これら流れ出ることと包み込まれることは、爆発的な噴出と侵入になるように見える。そしてそれはカプセル化という結果につながる。この病的な過程は、母親と一体になることを目的としているが、分離されている(separatedness 疎外)という結果になってしまう。現実についての鋭利で痛みを伴う気づきがあったのだが、それはぞっとするほど恐ろしいものであるために、抹消されてしまう。
 この疎外は、年月が経つにつれてより明白なものとなる。元々の心的外傷に類似した状況が起きるといつでも、その「穴」は再体験される。これは、障壁が強化されることを意味する。その子どもの拒絶症(negativism)は、修正されないままであるどころか強化される。
 デービッドの素材で見てきたように、カプセル化は、外界からの刺激に対する障壁であるだけでなく、内部からの暴力的な感情からの防御にも役立つ。しかしそのようなことをするのは、これができる養育対象がいるという感覚を十分にもっていないためである。カプセル化は、このような子どもの不安定に統合された構造を脅かす暴力を硬直したコントロール下におき続けることに役立つ。〜

〜もし彼らとコミュニケーションをとろうとするなら、可能なかぎり彼らの「言語」を学んで彼らの世界に入っていく必要がある。〜