今日の散歩と、【メラニー・クライン:精神病の精神分析的治療の基礎】
今日は、夜勤ですが、朝は代理で散歩に行って来ました。
9月に入って、少し暑さが和らいだような感じがしますが、どうでしょうか?
あまり汗が出ませんでした。
ゆっくりだったり、走ったりなので、ゆっくりの時には良い物がないか探しながら(笑)見守っていました。
車や、人があまりいないので、助かります。
調べ物をしたついでに、『フロイトを読む』を読んでいたら、現在読んでいる箇所に関係がある箇所があり、分かりやすくかいてあったので、アップさせていただきました。
『フロイトを読む』
「自伝的に叙述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」(1911c)
メラニー・クライン:精神病の精神分析的治療の基礎
フロイト以後、M.クラインは子供の精神分析から出発して対象精神病の分析の発展を可能にする決定的な臨床的・理論的寄与を提供した。一方では彼女は変わる妄想分裂ポジションの概念を導入することで、精神病に関する原始的な防衛機制と、神経症に関係する進んだ防衛機制を区別した。他方彼女は、フロイトの考えとは逆に、精神病患者が転移関係を確立し、それが分析可能であると考えた。M. クラインは、精神病的機能が妄想分裂ポジションへの固着および過剰な投影同一化への訴えに基づくと考えていた。彼女は、妄想分裂ポジションには正常な型と病理的な型が存在するとも、投影同一化にも同じく正常な型と病理的な型があるとも予想していなかった。しかし彼女以後、ローゼンフェルト、シーガル、ビオンは妄想分裂ポジションの精密病理をより詳細に検討した。妄想分裂ポジションの正常な型と病理的な型、そして投影同一化の正常な型と病理的な型を区別したのは、この精神分析家たちである。その時以来、妄想分裂ポジションへの固着をそこに見ていたクラインと異なり、彼らは精神病を、病理的な妄想分裂ポジションへの退行として、この精神病的退行を特徴づけるのは病理的投影同一化であるとしている。原始的対象関係についてのクライン派の着想に対してもたらされた展開は、精神分析技法に大きな衝撃をもたらした。それは精神病的・自己愛的な被分析者ばかりではなく、混乱の少ない被分析者においても、心的な反芻処理(ワークスルー)作業の、本質的な部分を構成している。
『快原理の彼岸』(1920g)
フロイト以後
クライン派の技法における欲動の二元性
メラニー・クラインは、死の欲動の概念を受け入れてそれを臨床に適用した最初の精神分析者たちの一人だった。彼女にとって自我は、誕生時から存在し、欲動の生得的極性によって生み出される不安に直ちに曝されていると感じるものである。自我はそこでの防衛のために死の欲動を逸らせる。その一部は外の対象に――フロイトが示したように――投影され、一部は攻撃性に変形される。つまり「死ぬ代わりに殺す」(Segal 1979:20)。だがクラインはもっと先に進む。なぜなら彼女は、この防衛過程が一次対象すなわち乳房は、同時に迫害的かつ理想的に知覚される。一方では、死の欲動は自我にとって迫害的で脅かすものと知覚される乳房の中に投影され、もう一方では、同時にリビドーが投影されて理想化された乳房を作り出す。それは生命を守る対象として知覚される。愛情対象の過剰な理想化が存在するとき、分裂はそれを迫害対象から遠ざけておくことを目的とする。また、発達のこの段階では、主な不安は、迫害対象が自我を襲って、理想対象と自己を殲滅させるという恐怖に由来する。クラインはこの時期を妄想分裂ポジションと呼んだ。 クラインによれば、人生の始まりから、自我の理想対象とそのリビドー的欲動が徐々に、危険な対象と攻撃的・破壊的欲動よりも強いと感じる。そんなふうにして、彼は自分自身および理想対象を守るための高まりゆく能力を獲得し、自分自身の内部の死の欲動に対してより強い耐性を持っており、したがって被害的不安が減っていると感じる。分裂と投影は減少し、徐々に自我の統合と対象の統合への動きに場を譲る。それは抑うつポジションの反芻処理(ワークスルー)への動きである。
クラインによれば、心的構造には二極の間の絶え間ない揺れが存在する。その一方は、統合の欠如および理想化された対象と迫害対象の間の分裂によって支配された内的状況であり、そこでは憎しみが愛より強い。もう一方は、統合への傾向を特徴とし、そこでは愛が憎しみより強い。 技法的観点から言うと、クラインとクライン派の分析者たちのアプローチは、個人が早期の乳児的不安に立ち向かって反芻処理(ワークスルー)しようとする仕方に基づく。詳細には立ち入らないが、次のように言っていいだろう。セッション中の精神分析者の仕事は、常に揺動する転移の動きの中で、患者と分析者との間の転移性の投影と取り入れの、絶え間ない行きつ戻りつの中で、リビドー的および攻撃的な二重の流れを突き止めることにある。精神分析者は、理想化され賞賛された対象と同時に危険で憎まれた対象を表すことを逆転移の中で受け入れて、この分裂を解釈するとき、患者がリビドー的流れと攻撃的流れを区別してそれらを結びつけることができるようにして、より良い統合を促進している。