うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

一期一会と、紅葉と、「ナルシシズムの導入にむけて」(1914c)フロイトを読むより

 はっく長屋に住んでいた、アメリカの方が先週、ハワイに旅立たれました。片付けをしている日に丁度、入浴介助ですろーじゃむに行っていたので、挨拶をしに来てくれました。
 しっかり名前も覚えていれくれ、来日する際には、絶対電話をするともいってくれました。深い付き合いはさせて頂いてはいませんが、途中になったことは余計に気になるとユングが言っていたような覚えがありますが、セッションしようとの約束がお互い果たせていなかったので、名残り惜しかったです.....。
 音楽っていいなとも、日本人だけが『一期一会』を感じているのではないなとも思いました。

 
 今日は日中賑やかでしたが、賑やかなのが苦手な方々は、静かな所に行きました。紅葉がきれいでした!


 久しぶりの『フロイトを読む』からのアップです。
サリヴァンの名前も久し振りに見たので、嬉しくなったのでのアップでした(笑)3年後にはサリヴァンの本を読み返せたらな!と思っていますが、生きているでしょうか(笑)

 長いので2回に分けてのアップになります。(要らん!と親分の声が聞こえてきそうですが....)

ナルシシズムの導入にむけて」(1914c)
フロイト以後】
《自己愛的(ナルシス)な転移現象は分析できると明らかにされる》
1920年代の終わりから一部の精神分析者は、フロイトが「自己愛神経症」に分類した患者がフロイトの考えていたことに反して、議論の余地なく転移現象を呈することを示した。ルース・マック・ブランズウィックRuth Mack-Brunswickメラニー・クライン、ハリー・スタック・サリヴァンHarry Stack Sullivan,パウル・フェダーンPaul Federn,を含むそれらの分析家は、こうした患者では陰性転移が陽性転移より優勢になりがちだが、それでも分析で届くことができたという考えを主張している。これらの先駆者たちの仕事によってその後、幅広い精神病理を呈していて以前は転移の分析に不向きと考えられていた患者への、精神分析的なアプローチとなった。このようにして子供と大人の精神病の分析ばかりでなく、躁うつ状態や倒錯者の分析が、そして今日ボーダーライン病理・境界状態・自己愛パーソナリティ障がいに分類される新たな障害の分析が発達している。一般的に言って、フロイトが自己愛神経症と転移神経症の間に設けた区別は放棄された。なざなら、かつて純粋に神経症と考えられていた患者が、自己愛の障害を含まないわけではないし、逆も同様だからである。精神分析者たちは今日、「異質」な(D.Quinodoz 2002)患者にしばしば直面する結果になる。その転移は、発達的に進んだ神経症的次元の諸要素と、原始的諸要素との両方から構成されている。後者には精神病的・倒錯的・自己愛的な要素が、さまざまな割合で混ざっている。

《自己愛的(ナルシス)障害の精神分析治療:2つの主な潮流》
〈自己愛的障害に関する2つの異なる着想〉
 現在、精神分析家たちがナルシシズムを理解する仕方には、理論的見地からも技法的見地からも大きな違いがあり、結果としてそれらの治療的アプローチはさまざまである。私には、異なる用語と多種多様の臨床的アプローチに訴えているこれらあらゆる潮流を、詳しく説明することはできない。しかしながら、精神分析者たちの間には、彼らが参照するナルシシズムの着想に応じて、主に2つの治療的傾向があると考えることができる。一方には、フロイトの一次ナルシシズムの着想に従って、乳児がまだ対象を知らない誕生期の状態にあると考える精神分析者たちがいる。彼らにとって、この時期は乳児の発達の正常な一段階である。もう一方には、人生の始まりから対象関係が生じると考え、M.クラインも考えに従う精神分析者たちがいる。彼らにとって、子供にはフロイトが理解した意味での原始的ナルシシズムの段階は存在せず、「自己愛的状態」があるのみである。これらのモデルの違いが、自己愛的障害の精神分析治療において技法的アプローチが異なる原因となっている。


〈生誕時には対象がない時期があるという考えの支持者たち〉
 技法の見地からは、一次ナルシシズムあるいは「無対象」を正常な発達時期と見なす精神分析者たちには、治療中に現れるナルシシズムの現象を比較的正常と見る傾向がある。そのため、F.パラシオ・エスパサPalacio Espasa(2003)が指摘したように、彼らは解釈の中で自己愛転移の葛藤的な側面を指摘することが少ない。こうした人たちには、アナ・フロイト、マーガレット・マーラーMargaret Mahler、D.W.ウィニコット、そしてまいける・バリントMichael Balint,ハインツ・コラートHeinz Kohutらが入る。
 アナ・フロイト(1965)は父親の見解をとり入れて、新生児と乳児は人生の始まりに対象が存在しない未分化の自己愛的状態を経験していると考え、子どもの心的組織のこの最初の状態を「共生期」と呼ぶ。その後、発達の間に乳児の関心は次第に対象に向けられていく。この過程は、一連の段階を通じて展開される。
 M.マーラーの着想は異なる。彼女にとって対象関係は、共生的あるいは一次的な乳児のナルシシズムから発達し、彼女が「分離・個体化の過程」(M.Mahler,F.Pine ,andA.Bergman 1975)と呼ぶものの現実化と並行して展開する
彼女はまた、分離感の知覚に直面した精神病的な子供のパニックの観察から出発して、「共生的精神病」という概念を導入している。彼女はこの概念に依拠して、すべての子供の心的発達に「正常な共生期」の存在を仮定する。M.マーラーの考えは、自我心理学の流れに属する精神分析者たちによって取り上げられ、子供と大人の精神分析治療に応用されてきた。
 D.W.ウィニコット(1955−1956)にしても、人生の始まりには一次的同一化が支配的で、乳児は自分は母親と一体であり母親は自分と一体であると信じているという考えに属しているが、彼は「一次ナルシシズム」という表現をめったに使わない。この段階では赤ん坊は、自分が対象を創ったという錯覚を持っており、母親の機能は乳児がその錯覚を放棄できるようになるまで、それを維持することである。不利な展開の場合、「原始的な情緒発達」の障害がみられる。その上、このような患者たちでは、精神分析治療の目的は、彼らが早期の乳幼児依存の段階に退行するのを許容することにあり、そこで被分析者と設定が一次ナルシシズムの状態で溶け合わさって、「真の自己」が成長していくことができる。M.バリント(1952)に関して言えば、一部の被分析者が示す身体の接触の要求は「一次対象愛」への回帰の欲求に対応する。彼にとってそれは、一次ナルシシズムへの回帰に等しい。精神分析の過程は、「進展するために退行する」ような仕方でこの状況に回帰することを可能にする。
 無対象の自己愛的段階の支持者たちの中で、私はB.グルンベルガーGrunbergerとH.コフートが採用している立場に触れることにする。グルンベルガー(1971)は、ナルシシズムが実際に一つの心的審級であると考えて、「自己愛的な分析関係」を治療の必要不可欠な原動力としている。コフート(1971)の方は、自己愛的障害の精神分析治療の独自のアプローチを取りいれて、理想化転移を示す患者の治療において2つの時期を識別する。それは原始的ナルシシズムへの退行という最初の時期と、それに続いてこの種の転移を、最初の均衡状態が崩壊し始めるときに反芻処理すなわちworking throughする時期である。