うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ストレッチと、【その女性の言語療法士は、彼の問題を単なる話し方の問題ではなくて、理解と因果関係と空間失見当識にもあると報告しました。】


彦坂先生のストレッチ教室の日でした。
初めて参加の方々も居られましたが、段々できるようになりました!


 ベッドでされているのは、まさくん(笑)らしいですね....。
馴れておられる方々は、本当にさまになってきたと、親分談でした。

 おっちゃんは、シフトでは休みでしたが、通院介助で耳鼻咽喉科に行きましたが(昨夜も)、最近の耳鼻咽喉科は機械が凄くて、病院という感じがしませんでした。医師が言うには、梅雨の時期には、咳が出やすいとのことで、みなさん大したことがなく、良かったです。風邪ではないとのことでした。しかし機械が凄かった!

 14時過ぎに受診記録等を書いて、仕事を終えましたが、一息つきたく今日はファミマでコーヒーを飲みながら本を読みました。アップはその時に読んだ箇所です。どっぷりとケースになっています。
 タビストックでは、乳幼児の観察から入って、段々成人の方に行く方が多く、乳幼児期のセラピストが少ないと古い本に書いていましたが、 『Bion はしばしば、赤ん坊が母親の乳房に対してする接近の仕方と、患者が自分の分析家に対してする情緒的な反応を比べました。』は、成人にもあてはまるように思います。


第2章 植物的生活と目覚め
 私は、すでにBion の精神分裂病の成人と臨床の仕事に言及しましたが、彼は、人間が外界の生き生きとした現実とつながるやり方には2つのタイプがあり、その間に興味深い差異があることを示しました。第一のものは、分節化されたつながりで、そのを柔軟性を通じてです生き生きとした状態を感じ体験することを可能にしています。第二のものは、硬直したつながりであり、体験と思考を、扱いやすいけれども機械的な塊へと限定してしまうものです。Bion はしばしば、赤ん坊が母親の乳房に対してする接近の仕方と、患者が自分の分析家に対してする情緒的な反応を比べました。分節(articulation)という考えを彼は熟考の末選んだようです。というのも分節という考えには、動作の自由さと言語的表現の柔軟さという二重の意味があるためです。硬直したつながりは、彼が分析した精神病、患者の思考過程においてほぼ共通して見いだせるものでした(Bion 1957)。ロビーの思考過程を硬直したというよりはグニャグニャであるとむしろ呼びたかったのですが、その思考過程は、Bion の患者が持つ、行動や新奇さや変化に対する絶対的な否定というものを共通にもっていました。それは、ロビーと真の接触を持とうと努力している私や他の人々に、ひどい絶望感的無力感を生み出すという影響を及ぼしました。〜

〜彼らは、とても才能のある女性との言語療法を設定しました。その女性の言語療法士は、彼の問題を単なる話し方の問題ではなくて、理解と因果関係と空間失見当識にもあると報告しました。彼には時間の概念がなく、時間的な前後の概念もありませんでした。私たちが出来事の意味を理解するもととなる、因果関係という単純な日常的なおおざっぱな考えが、彼にとっては不可能なのです。コップが壊れたのは私がそれを落としたかり、とか、私がひざを怪我しているのは転んだから、とか、私がびしゅぬれになっているのは雨が降っているからだとか、そういったこと全てのつながりが、常にあべこべになったりごちゃまぜになりしているのです。彼が時間について持っている問題は後にまた言及します。付け加えるならば、彼はいまだに、空間的世界の中で生きている自己としてはあまり分化していませんでした。今や彼ははるか前の彼の状態に落ち込んだり漂流していったりずる可能性は少しなくなってきました。代わりに彼がしたことは、対象に近寄りすぎること、対象ともつれすぎること、そのため彼の前に横たわっているものにきちんとねらいを定め焦点を合わせることができなくなることだったのです。とはいえ、描画と私への彼の要求からは、発達していることが伺えましたし、言語療法が彼には非常に役立っていました。〜