うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

本が来ましたと、バズワードは実現すると、【メランコリーにおいて病気を生み出すきっかけは、ほとんどの場合死別という明白な状況にとどまらず、無視され、放置され、あるいは失望させられるといった状況すべてを含んでいる。】

 

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 本が来ました!本当に読みたかった本なので購入させて頂きました。ひと月に2~3冊読ませて頂いているので、これで今年読む本は大丈夫です。京都時代も美術書(写真だけでなくて解説なども)を買い始めた時は、全然理解できず、苦しみましたが、2年くらい頑張って読んでいたら徐々に理解できるようになりました。現在ももう5年目くらいになっているので、難しい学術書ですが、少しずつ早く理解が出来るので早く読めるようになりました。本当は、臨床人類学をもっと早く読みたかったのですが、値段のこともありますが、アーサー・クラインマンの分かり易い本から読ませて頂いてから(現在読ませて頂いています)、こちらに入らせて頂こうと思っていたので遅くなりました。この二冊は、今から楽しみです。

 

   この地域では、台風の山を越えた頃に、身体を休めさせて頂きましたが、テレビをつけると大変なことになっています。自然の前には、結局人間なんて非力ですね........。

 

 テレビを正視することができなくなり、ネットを開いたら下記がありました。

 

 皆藤先生も同じようなことを言われていますが、ノーベル賞を受賞された吉野先生も下記のインタビューで、インターネットの技術が発達したことにより――玉石混交とはいえ――情報は簡単に入手できるようになりましたし、世間では「もはや、自然界で新しい発見はなく、全てが分析され尽くしている」というようないいかげんな言説も目立ちます。いやいや、生命の神秘や脳の働きなどはまだ分かっていないことばかりですし、電子の世界でもイオン(正または負の電気を持つ原子)の世界でも、はたまた超深海でも宇宙空間でも分かっていないことは、たくさんある。 実際、世界は謎に満ちていますし、ネタはいくらでも転がっています。』と言われています。

 努力されて人様が作った物を、ネットで見ただけで、あたかも自分が考えたような気分になってしまうという怖さがネットにはありますね......。

 順番は違いますが、 ~しかし、日本では理工系の学生がメーカーに就職せず、ITサービス産業に向かうという変化が起きています。NTTの研究所からも、米グーグルなどに転職する研究者が後を絶ちません。化学メーカーは、子ども向けの化学教室などを開いていますが、化学の力で世の中を牽引した高度成長期とは異なります。

 若い人たちの目が化学に向かないという点については、私としても危惧しています。小さな子どもたちを含めて、若い世代に対しては、「化学の面白さ」を訴えていかなければならないと考えています。個人的にも、そう思う。』というのは、教育の在り方や、報道の仕方にも問題が山積されているのではないでしょうか?お金になる人間を作ってそれにあやかる(笑)ような報道の在り方は、即刻是正を求めますし、教師自体が人の痛みを知らない人間が多いのに(知っておられる方も知っていますが)、思いやりのある人間が育つのでしょうか?企業も即戦力ばかり求めて、育てると言う意識(余裕がないのかも知れませんが)がない中、目だつことだけを選択して仕事を選んでしまっているのではないでしょうか?本当に仕事が好きでないと、新しいアイディアなんか生まれませんし、粘り強く一つのことに向き合うと言う事も出来ません。本当に大事な物を、皆藤先生も吉野先生も、真摯に求めて来られてきたのではないのか?と下記を読ませて頂き、感じました。

 

 

 

  しばらくオグデンからの引用が続きますが、オグデン自体も今の若い方々には古典になってしまうのかも知れませんが、オグデンの様な凄い人でもフロイトをきちんと読んでいます。基礎が大事というのは、頭で分かっているだけでは何の役にも立ちません。身に染みて初めて気が付く物ですね......。逆にそれに気づいたときには、成長した証なのかも知れません。

 人は見られていないと、死んでしまう。そういっても信じて頂けないのも無理はありませんが、本当にそう思う事に出会ったことがある方もおられるのはないでしょうか?ガンジーも、人間が一番つらいのは無視される事だと言っていました。命の灯が消えないように、人間は防衛に走るのかも知れませんね。

 

 ~フロイト(1923)は、この感情がメランコリーにおける死の恐怖と関連があると述べている。メランコリーにおいて「自我は超自我に愛されず、無性に憎まれ迫害されていると感じ、自身を放棄する。つまり自我にとって、生きることは愛されることーー超自我に愛されることなのである」(p.58)。


 それに先立ち、フロイト(1917)はメランコリーを愛情喪失について病理的に悼み悲しむかたちとして記述した。

 

 メランコリーにおいて病気を生み出すきっかけは、ほとんどの場合死別という明白な状況にとどまらず、無視され、放置され、あるいは失望させられるといった状況すべてを含んでいる。この状況は愛情と憎しみという相反する感情を関係にもたらし、あるいはすでに存在しているアンビバレンスを強化する。(Freud1917,p.251)